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《気ままな感想文》無思想の発見-2


公と私(publicとpraivate)

以下《私》とは公権力が認める社会の最小単位と定義する。

西欧では《公権力》と《個人》のことである。権力は放っておくと何処までも自己を侵害する。対抗策として、社会を構成する正式な最小単位として《個人》を公権力が認め、それにも権力を与えた。それが《個人》の権力=人権である。従って《個人》の内に自分が存在する。

日本では、実は《世間》と《家》になる。世間が公式に認知する社会的な最小単位は《家》である。そこでは自己などは世間的には無意味なものであった。したがって《家》のためには切腹もやむを得ず。森林太郎もエリスをあきらめるしかなかった。

以前、森鴎外のお墓を訪ねたことがある。そこには、何々家という文字は彫られておらず、森林太郎という個人名のみが彫られていた。最後に《家》から解放され《個人》として死にたかったのだろうか?