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同じの反対

 「同じ」の反対は「違う」ではない、と養老孟司氏はのたまう。

 ムムっ!異なことを!しかし、氏の主張を読んでみると納得した。

 数学の授業でベクトルがでてくるとき、「同じ」とは何かよく生徒に問いかける。二つのベクトルが与えられたとき、それが「同じ」になる定義をしなくてはならないからである。

 生徒は「同じ」を定義すること自体が不思議のようである。同じは同じに決まってるジャン、というわけである。

 しかし、そう簡単にはいかない。世の中にある二つのものが「同じ」ということはありえないのである。君の本と僕の本が完全に一致するなら私は泥棒になってしまう。そうではなくて、ある特定の部分が同じに過ぎない。

 では全く同じというものは存在しないのだろうか?その通り、現実の世の中には存在しない。

 しかし、思考の中には存在する。現実に書かれた「1」という数字には厳密な意味で同じものは無い。しかし思考の中の「1」は全く同じであることが可能である。

 つまり、「同じ」と「違う」は住んでいる世界が違うのである。「赤」の反対が「甘い」と言っているようなもである。反意語は同じ世界で考えるものである。「赤」の反対は同じ色の世界で「青」と答えるのが自然だろう。

 その意味で「同じ」と「違う」は反意語になり得ないのである。