カテゴリ:科学する( 23 )

 難しい話ではない。私が授業で2年生に教えている科目名である。

 ご存じないかもしれないが、この科目は英語や数学と同様に必修である。例の未履修問題のときにも「世界史」以外に「情報」を履修していない学校が問題になった。

 実は「情報」を教える事になって、現在四苦八苦しているのであるが、教科書を見て気づく事がある。
 最近の教科書なのに、もう古いと感じるのである。ディスプレイもブラウン管よりも液晶が主流になり、CDよりDVD等々である。

 それだけこの分野の進化が早く激しいのであろう。もっとも予想を裏切ってきているのが携帯電話の変化である。携帯でインターネットを使うのは当たり前になってきている。テレビ電話のような使い方も出来る。

 我が家にも某NTTという会社から光ケーブルのネット契約のお誘いが頻繁にある。そのうち最新の映画をインターネットでオンラインで見る時代になるのだろうが、慌てず様子見で行こうと思っている。 
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 視線の行き先を察知してキーボード入力の代替をさせる。

 1/15(月)の朝刊「ひと」欄の新井さんの研究である。工業高校を出て大学は夜学へ。電電公社に就職して貯金したお金で大学院を出た。

 佐賀大学の教授となり、見つめるだけで入力できるシステムを完成した。

 学問はそれだけで独立したものだと思う。仏教で言うところの、いわゆる「無記」である。学問自身に悪も善も無い。刃物が使う人により命を助けるメスになったり、人を殺す凶器になったりする。

 それだけに、新井さんの研究のように貧しいもの、障害のあるものが情報差別を受けないように考えられた発明だという話を聞くと胸の中に灯がともったような温かい気持ちになる。

 システムは無料、必要なカメラは3000円くらいと安価なことにも優しい気持ちを感じる。勝ち組となって金持ちにはなれないのかもしれないが、それには替えられない幸せを手にするに違いない。
 
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 大雪の後、寒波襲来である。

 明日の最低気温−10度などと天気予報で知る。例年このくらいにはなっているはずなのだが、毎年そのたびに寒いさむいと背中を丸めて驚くのが我ながら可笑しい。

 宇宙の始まりはとりあえず書いた。その後はニュートン力学(大抵これで間に合う)、光速に近い場合はアインシュタインの相対性理論、重力が大きい、またはミクロの世界は量子力学に登場してもらえばおおよそ理解できるところは理解できそうである(トートロジーでめちゃくちゃな表現だがお許しを)。

 しかし、電気は電子と陽子のように単独で存在できるのに、磁気に関してはN極だけの物は単独では見つかっていない・・・など、勿論分からない事は山ほどある。

原因は、物理の未発達の部分と自分自身の「おバカさんの壁」のせいであるのだが。

 そこで、気分的に「宇宙を考える」はこれで一段落として、相対論にチャレンジしてみたい(ご勝手にという声にめげず頑張りたいと思います)。
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 真空が相転移を繰り返す。

 第一の相転移で”原始の力”が”大統一力”と”重力”に分かれる。第二の相転移で”大統一力”が”強い力”と”電弱力”に分かれた。

 今回は、第三の相転移が起きるときの話である。ここでは”電弱力”が”電磁気力”と”弱い力”に分かれる。インフレーションは起きなかった。時間は10の-11秒後。温度は10の15乗Kとなっている。

 粒子に目を転じると宇宙の卵が出来てから、大きく分けて”正粒子”と”反粒子”が同数存在していた。衝突を起こすと光に変わり(対消滅)、逆に一定以上のエネルギーを持つ光子が出会うと粒子と反粒子が同時に生まれる(対生成)。常にペアで行動するのである。

 第三の相転移では粒子の性質に変化が生まれ、粒子と反粒子の振る舞いが対称でなくなるような変化が起きた(らしい?)と推測されている。

 宇宙の膨張が進行して光のエネルギーが減少する。すると対消滅は起きるが対生成は起きなくなる。結果すべての粒子が対消滅を起こし宇宙は目映い光だけの世界になった・・・訳ではない。

 粒子と反粒子の僅かな対称性の崩れが生じていて粒子が反粒子より多くなってしまい、最終的に反粒子はすべて無くなってしまった。こうして現在の宇宙には反粒子は見あたらないのである。

 始まりから10の-4秒経過して、温度が10の12乗Kに下がった頃第四の相転移が起こる。前回と同様にインフレーションは起きない。結局インフレーションはプランク秒後の第一の相転移の時に起きるだけである。

 第四の相転移は粒子の性質を変え現在の陽子、中性子、電子、光子はすべてこの時期に完成する。その後新たな相転移は起きていない。→続く
 
 
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大好きな映画「Back to the future」の三部作の最初、ドックがトイレで頭をぶつけてタイムマシンを発明する場面でこう叫んでいた”…相転移が起きて…”。 楽天的で明るく、変人でアイデアに満ちている(ように見える)科学者のドックに憧れている私です。

 「相転移」とは、水を例にとると、水蒸気になったり水になったり氷になるように状態が変化していくことを意味している。

 宇宙誕生の10の-44秒後のプランク期の終わりに真空のエネルギーをきっかけにインフレーションが起きる。

 そして、時間の経過と共に宇宙は最初の相転移を起こす。「力の卵」というべきものが重力と大統一力(後ほど説明予定…とりあえず、そんなものかと思ってください)の二つに分かれる。
 
 インフレーションが終わり、急膨張のおかげで温度は10の32乗Kから10の27乗Kに下がる。それが10の-34秒後である。

 こうやって宇宙は相転移を繰り返し重力や電磁気力が変化したり、温度を変えたりする。

 二回目の相転移は直ぐ続き、大統一力から強い力が分かれる。この期間は宇宙も忙しく目まぐるしく変化する。この相転移によって宇宙は超高温の火の玉になる、これが狭義のビッグバンである。→続く。
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 プランクの大きさの宇宙の卵が出来てからは、ある程度現在の科学で説明されつつある。

 誕生して10のマイナス44乗秒後、このちっちゃな卵は凄まじい膨張(インフレーション)を起こす。それから10の-34乗秒間の間に10の10の100乗倍程度に膨張した。

 要するに、普通の人間の感覚からすれば瞬間的に爆発したということであろう。しかも、その爆発のスピードは光速を超えるほどのものであった。(相対性理論によると、物体の移動は光速を超えることは出来ないが、空間の膨張はこれに抵触しない)

 ボールが位置エネルギーを運動エネルギーに変換するように、宇宙の卵も位置エネルギーを膨張するエネルギーに換えていく。

 しかし、その切っ掛けはよく分かっていない。高いところからボールを転がして運動エネルギーに換えるように、膨張する切っ掛けが必要である。

 それは真空のエネルギーと言われている。真空にも色々ある。

 日本の家庭で使われている交流は三相交流といわれるもので、周期が120度ずれている電流が三本同時に流れていて、いつでもその合計は0である。つまり、0といってもプラスとマイナスが釣り合って0になっているのである。反対側から同じ力で押し合えば止まっているように見える物体でも何も力が働いていないわけではない。

ある種の真空では、エネルギーに満ちていても見かけは真空になっている事もあり得る。

 そして急激な膨張が始まり真空の「相転移」が始まる。「相転移」とは何か→続く
 
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 宇宙の始まりは「無」である。もちろん真空のことではなく、空間も時間も無いところから宇宙は生まれる。

 量子論によると非常に短い時間、小さい空間では「ゆらぎ」がおこる。ゼロを中心に+と−が揺らぐのである。これと同様な事が空間も時間もない「無」のときにも起こったというのである。

 そこでは宇宙の影が蛍の灯りのように点滅して現れては消え、消えては現れる。それが、およそ137億年前に10のマイナス35乗メートル(これをプランク長という)の大きさの宇宙の卵として形になる。この大きさは長さの最小単位である。つまり宇宙は本質的にデジタル(離散的=不連続)なのである。

 ここで一つの問題が起きる。卵になる前、点滅している宇宙の影が大きさゼロからプランクの大きさの宇宙にジャンプしなくてはならない。徐々に大きくなる事は出来ないのである。なぜならプランク長は最小単位だから、これより小さくはなれない。そこの難点を解決するのがトンネル効果というミクロの粒子に働く性質である。そうしてめでたくプランク長の大きさの宇宙の卵が完成し実時間が流れ始める。---> 続く

 
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 子供電話相談室の定番とも言うべき質問である。そうそう、宇宙の果てはどうなってるの?という質問もあった。

 インド最古の讃歌集の「リグ・ヴェーダー」には、

 …そのとき、無もなかりき、有もなかりき。空界もなかりき、…と書いてあるそうな。

 現代宇宙論でも似たような説明になる(大昔であっても、科学を使わなくても、才能のある人間は真実を識ることができるのかもしれない)。

 時間も空間も無い、もちろん物質やエネルギーも無い。そんな状況から宇宙は始まる。
真空とは違う。真空になるような空間でさえ無いのである。

 しかし、私には想像も理解できない。実感も持てない。前回の話の「否定形による理解」というところである。

 では「無」から、どうやって宇宙は始まるのか?乞う次回。
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 当たり前であるが、人間の理解できることには限界がある。もっと狭めて私の理解する事には勿論限界がある。

 それは脳というコンピューターの物理的な性能の限界を意味する。例えば白黒の感光材しかないフイルムで真っ赤なリンゴを撮影する事は出来ない。

 ではどうするか?白でも黒でも灰色でもないと風に言うしか無いのである。つまり否定形で表現しようとするであろう。

 無限に対するとき同じような感触を持つ。元々人間は有限な存在である。白黒フイルムで赤を表現するときの限界=無理を感じてしまう。無限の定義は色々試みられているが、つまるところ有限でないという事を言っているのに過ぎないかもしれない。

 人間は宇宙の部分である。白黒は総天然色の部分である。白黒が総天然色を表現する困難は、人間が宇宙を理解しようときに感じる困難と同様ではないだろうか。

 理解するのが難しいと感じられるものでも、本質的に難しい(否定形でしか表現できない=人間の外にある)ものと、努力不足が原因で難しいが本来人間の中に存在している(肯定文=構成的)ものを区別できるように努力してみたい。

 
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 光は粒子でもあり波動でもある。位置を確定しようとすると速度が決まらず、速度を決めようとすると位置が定まらないという「不確定性原理」というのもある。

 現代の量子力学では、この問題は「光」が悪いのではなく、人間の方にあるとする。いわゆる「観測」問題である。

 観測が問題だとすると、それは人間の脳の問題である。「粒子」と「波動」というふうに一つの「光」が分裂してしまうのは人間の脳が分裂しているからではないか?

 そうやって考えると気になることがある。位置には時間の単位が入っていないが波動には時間の単位が入っているのである。

 つまり「位置」は目、「波動」は耳が判断する。だとすると問題になっている矛盾は目と耳の統一の矛盾が引き起こしているのではないか。

 我々が見ているのは果たして外界なのか?


参考文献:「カミとヒトの解剖学」ちくま学芸文庫、養老孟司著
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