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 年休が沢山余っている。

 有効に使おうということで、午後年休を取った。
 普通なら自習の用意をしなくてはならない(これが意外と大変)ので、よっぽどでないと休みはとらないのだが、今日はテストの最終日なので授業がない。貴重なチャンスである。もっとも答案などは持って帰って自宅で採点である。
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 信州は良い温泉が多い。最近は、大芝温泉に行く。ジャグジー、サウナ、露天風呂もある。とにかく広々として森の中にあるのが清々しく気持ち良い。

 水曜日の午後なのにがら空きというわけでもない。一体どういう人が来るんだろうか?自分のことを棚に上げて疑問に思ってしまうのが自分勝手な発想で可笑しい。

 ここは、曜日によって男湯と女湯が入れ替わるのであるが、先日考え事をしていて、うっかり(天地神明に誓ってホントです!)女湯の方へ5、6歩入りこんでしまった。
 すぐ気がついて戻ったので事無きを得たが、危うく「またか!痴漢教員女湯を覗く」という新聞の見出しになるところであった。
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by coolkai | 2005-11-30 21:01 | 学校
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 日本も宇宙で頑張っている。

 日本の探査機「はやぶさ」が小惑星イトカワからサンプル採集に成功し、帰還の途についている。

 イトカワは地球から3億kmも離れている。光でさえ片道17分かかる。指示を与えようにも、とっさの場合間に合うはずもない。
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 したがって、「はやぶさ」は自律型探査機であり、かなりの部分自分で航行できるようになっている。その他にもイオンエンジン(イオン化したガスを電気で勢いをつけて噴射する)を動力に使っていて、なかなかの優れものである。

 目的は、宇宙の考古学であるといっていいだろうか。

 地球を含めた太陽系の成り立ちを知りたくなったとき、どうしますか。

 小惑星にはその太古の状態がそのまま保存されているのである。

 小惑星を調査することは、ちょうどタイムマシーンに乗って太古の地球に戻るのと同じである。

 フレッドホイルは彗星生命発生説で「原始的生命が星間塵の間をさまよう彗星の核の上で合成され、地球に飛来した」と述べた。

 鮭が生まれ育った川に戻り遡上するのを見ると、人間が宇宙へと進出したがり興味を持つのは、宇宙が生命の故郷(ふるさと)だからかもしれないと思ってしまうのは、あながち的外れでもあるまい。
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 その建物は上田市の外れの小高い丘の上に立っている。

 戦没画学生のための私設美術館である。

 入館して、絵を見ていくと段々口数が少なくなり終には黙り込んでしまう。
 言うべき言葉を失ってしまうのである。

 無言館の《無言》は、もの言わぬ絵画だけでなく、沈黙に誘われる観客を表してもいるのだろう。

 出征の5分前まで恋人を描いたもの、戦地でまだ見ぬ子供を描いたもの(見たことがないのに驚くほど似ていたという)、自分の周辺の愛するものを描いた作品が展示されている。

 設立者の窪島誠一郎さんは言う。

 「無言館は反戦・平和の美術館ではありません。身近なものへの愛情を描いた美術館です」

 無言館の存在をして、だから軍備をすべきだとか、だから反戦・平和だとか言いたがる人がいる。

 もの言わぬ絵を利用するのは卑怯であろう。

 良いことでも、悪いことでも、何でも、この身近なものへの絞り出すような愛の祈りを勝手に利用してはいけない。

 そのまま、受け取って欲しい…。そう、窪島さんは言っているのだ。

 その通りである、と思う。
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 コッピーとも呼ばれている小さな魚である。

 夏の間は睡蓮鉢に布袋草と共にいれて楽しんでいたが、氷が張るほど寒くなっては室外では無理である。

 水槽を用意して部屋の中で楽しむことにした。
 かなり強い魚なので、酸素を送るポンプもヒーターも必要がない。私のようなズク無しにはピッタリの魚である。

 今日は、赤ひれが快適に暮らせるように水草を購入し、水も換えた。
 
 小さな生命圏が水槽の中にあるような気がして、我々人類の宇宙における立場まで想像は広がる。
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 久しぶりに松本城のお堀周辺を歩いた。

 松本城は端正で美しい城である。
 地元のひいき目ではなく、全国のどのお城と比較しても引けを取らない。

 季節きせつにその美しい姿を現す。桜も、真夏の青い空も、秋の紅葉も冬の積雪も、どれもお似合いである。

 次は、雪の松本城を見に来たいと思った。

 今日の本来の目的は音楽会で、城はついでである。
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 第76回信州大学交響楽団定期演奏会が、松本市の県文化会館で行われた。

 日頃、お世話になっているピアニストの石井先生がラフマニノフを弾くというので聴きに行った。

 期待通りの素晴らしい演奏で信大のオケをもり立てる。

 この曲(ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番ハ短調作品18)の構成上、オケとピアノの音が重なる部分があり、音のバランスの難しさを感じた。

 やり遂げた学生諸君の達成感に満ちた顔が印象的であった。
 
 
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by coolkai | 2005-11-26 23:10 | 音楽
 今朝(11/25)の朝日新聞で、井筒俊彦氏の名前を見つけた。

 イスラム哲学の分野では、世界的な学者であり、言語の持っている力と、意味の生成の場所を、テキストを中心に研究した。

 10年ほど前に鬼籍に入ったが、お弟子さんや奥さんを中心に自宅で研究会が開かれているという記事である。

 いずれ、その著書を読み、勉強したいと憧れている何人かの一人である。

 記事の中に、井筒氏が慶応大学の助教授時代、学生に出したレポートの課題が載っていた。

 1。言語が究極において沈黙になることの説明
 2。純粋詩といわれるものは言語学的にどういう意味があるか
 3。同一の単語が散文と詩に使われた場合全くことなった容貌を呈することの例をあげて説明せよ

 う〜ん!刺激的な課題である、この三つは関連しているように思われる。

 即物的な例で申し訳ないが、こんな解答はどうだろうか?

 例えば、《痛み》という言葉を持たない民族があったとする。もし、そこで腹痛が起きたとすると、その人は言葉を失うだろう。つまり伝えようがない、沈黙するしかないだろう。

 純粋詩では、この《痛み》に相当する新しい概念、言葉を創るものである。

 では、どうやって創るのか。散文とは全く違う文脈や、構造の中で使用することによって、新しい意味を造りだす。

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 残念ながら、素養のない私には適当な散文と詩を見つけ出すことが出来ない。

 そういえば、デュシャンの《泉》(市販されている便器にサインして泉という作品名をつけて展示した)や、《解剖台の上のミシンとこうもり傘の偶然の出会いのような美しさ》という作品は課題3の解答になっているのではないだろうか。

 言葉が産まれてくる瞬間に立ち会いたいものだ。
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 来週からテストが始まる。2学期期末テストである。

 他校も、似たような時期であろう。高校生が昼間、街を歩いているからといって、怪しまないようにしてください。

 きょうは、空き時間を費やして問題作りに没頭する。しかし、なかなか良い問題ができない。
 平均60点を目指すのだが、生徒諸君の努力が足りないのか、問題が難しすぎるのか、最近では、平均が40点くらいである。

 テスト前、最後の授業では、それとなく出題予定を匂わせるのだが、優秀な生徒にかぎって熱心に聞いている。
 それなのに、お〜い、そこのキミ、君こそ聞いてて欲しいという生徒がよそ見をしていて、まるで聞いていない。

 う〜ん、世の中そんなものだよな〜と、つい泣き言が入る。

 自分も、こうやってチャンスを取り逃がしてきていたのかもしれないと、我が身を振り返ってしまった。

 色々考えながらも見切り発車して印刷してしまう。テストを作る側もしんどいものだ。

 
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by coolkai | 2005-11-24 19:21 | 学校
 今日は久しぶりの休みである。妻も音楽会で外出している。
 こういう日は、独り家にいて静かな時間を過ごすに限る。

 最近、知人の肉親の訃報に接することが多い。安易に慰めるのも軽々しいようで、どうやって言葉をかけていいのか分からない。

 ひとが、深い悲しみの淵に立たされているときには、黙って寄り添うことだけが他人の出来ることかもしれない。

 《ミリオンダラー・ベイビー》を観た。
 この映画は、アカデミー賞4部門を独占したらしい。ボクシングを題材にしたスポーツものである。
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 クリント・イーストウッド演じる老トレーナー、フランキーが31才のマギー(ヒラリー・スワンク)を女性ボクサーに育てていく物語である。フランキーの友人エディ(モーガン・フリーマン)がそれに絡む。 

 確かに、単純なスポーツ根性物ではないかもしれないが、やはり、アメリカ映画らしい割り切りを感じてしまう。

 特に、尊厳死の場面では物足りなさを感じた。誠実に映画を作ろうとする意欲を感じはするのだが…。
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 いっとき、「カオス理論」というモノが流行った。

 そのとき使われた、例え話で「リオデジャネイロで蝶が羽ばたくと、数週間後にテキサスで竜巻が起こる」というのがある、その butterfly effect である。

 初期値の、ほんの僅かの違いが最終的には質的な変化まで引き起こすという、「複雑系」での話題である(ここでは、深入りしません、別な機会に)。
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 この映画では、タイムスリップすることによって、幼いときの状況を、ほんの少し変えてみる、すると未来はどうなってくるのか、というテーマを扱っている。

 もしも、あの時…、という思いのある人だったら十分楽しめる作品である。

 しかし、最後に主人公は、幼いときの恋人との出会いを避けるという選択をする。

 大人になり、街の中、見知らぬ二人としてすれ違う二人の姿が暗示的で悲しい。
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 私は3年A組の副担任である。
 クラスで、ホームルームの時間を利用して、手打ち蕎麦を作るという。この日は、お弁当を持たずに、お昼の時間を楽しみにしていた。

 出来た料理は、蕎麦だけでなく、栗おこわ、焼き芋、柿やリンゴのデザート、意外と盛りだくさんであった。

 ほとんどの生徒は進路が決まっている、3割くらいが就職で、残りが進学である。これから受験の生徒もいるがわずかである。

 もうすぐ卒業である。幼く見えた男子もこうやって包丁を使っている姿が、なかなか大人に見える。

 ましてや女子は、エプロン姿も様になっていて、すっかりお姉さんである。

 学校に登校するのも残り少ない、いっぱい思い出づくりをしていって欲しい。

 蕎麦は、何回もお代わりしてしまいました。
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by coolkai | 2005-11-21 20:58 | 学校