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 小学校での英語必修化が提案された。

  中央教育審議会の外国語専門部会はこの2月、国語・算数・理科の授業時間増を提案したばかりだ。そこへ小学校段階での英語必修化の提案である

 以前の「たっちゃん」でも書いた。藤原正彦さんは、著書「国家の品格」で国語がいかに大事か述べている。

 国際人になれるように英語を早くから学ぶことが大事であるという意見をよく聞く。そんなものかしらと聞き流す前に、国際人という言葉が気になった。

 国際人とは何者だろうか?英語を話す人のことであろうか?それなら、アメリカ人はほぼ全員国際人である。
 だからといって、アメリカ人になることを目指すのは無意味であることは自明なことであろう。日本固有の歴史、文化を消滅させるなんてもったいない。

 いやいやそうではない。母国語以外に外国語を話せる人のことであろうか?それならアメリカ人の殆どは国際人ではない。

 では、英語だけしか話せないアメリカ人は国際的な活躍が出来ないかというと、そんなことはない。

 小学校で英語を必修にする前にするべきことは他にもある。中央教育審議会の委員の方々は今の学校制度の中では成績も良く、教養も十分ある方々であろう。

 国際的な人間とは何かを深く考えていただきたいものである。
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by coolkai | 2006-03-31 07:47 | 学校
  日食が29日、モンゴルから中央アジア、中東、アフリカなどの各地域で観測された。
 特に、中東トルコやアフリカ北部リビアでは、太陽の全体が隠れる皆既日食である。

 この皆既日食が邪馬台国論争の大きなヒントになるというのである。

 『古事記』『日本書紀』には、天照大神が天の岩戸に隠れる物語が記録されている。
 卑弥呼が死んだとされている年(西暦248年、正始8年)とその前年(同247年)に北九州で皆既日食が観察されている、という説が現れた。

日食説そのものは、江戸時代の儒学者荻生狙來が言い出したものだというが、西暦247年と248年に2度も続けて皆既日食が北九州地方で観測されたという。

 皆既日食が見られる範囲は幅2Kmの帯の範囲に限られるので、卑弥呼=天照大神、高天原=邪馬台国という等式が成立するのではないか。
 
 現代でも皆既日食は数十年に一度しか現れない。続けて二年現れるというのは極めてまれである。
 暗黒に溶け込んでいく真昼の太陽によって、古代の人々がこの世の終末を覚悟したであろうことは想像に難くない。

 かなり乱暴な説であるが、一考の余地はある…かな?
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 麻原彰晃の死刑が確定しそうである。

 東京高裁は27日、弁護側が期限内に控訴趣意書を提出していないことを理由に、麻原被告の控訴を棄却する決定をした。

 これを覆すことはかなり難しいので、ほぼ死刑が決まったと思って良いようである。

 松本サリン事件のとき、私は松本で働いていて、マスコミの報道も含めてまことに身近なできことであった。現場の近くはよく通る場所でもあった。

 被害者の河野さんがコメントを述べていた。河野さんという人は、以前からの発言を聞いていても思慮深く冷静な判断の出来る人のように思える。

 「現在(いま)は怒りは超越している。それよりもオームの事件が何だったのか麻原の口から事実を聞きたい」

 急いで死刑にするよりも、なぜ事件が起き、身近な人が死ななくてはならなかったのか?その意味を知らなくては被害者の存在が宙ぶらりんになってしまう。

 河野さんの発言を聞いていて、そんな事を考えた。
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 リーダーに要求される資質は何だろうか?

 こんな話を読んだ記憶がある。南洋のある部族の酋長の話である。
 文明国から行った探検隊が酋長に尋ねた。

 探検隊:「酋長の特権は何ですか?」

 酋長:「他部族との戦いになったとき真っ先に先頭に立って戦うことができるんだよ。」

 リーダーやエリートには高貴な義務があるというのである。いざというときに皆の矢面にたって守ることである。

 最近の××界では、これと逆なことが多い。いざとなると末端の下々の責任にしてすべて押しつけてしまう。

 そんなリーダーを見るたびに怒りよりも哀れさを感じてしまう。自分も含めて凛とした生き方にあこがれてしまう。

 世界の企業トヨタが中高一貫の「海陽中等教育学校」を作った背景にはそんな気概を感じる。

 英国のイートン校をお手本に真のリーダーをつくるのだという。それが国や公的なモノでなく一企業がチャレンジするところに、今の日本の官のふがいなさを感じてしまう。
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Today is the first day of the rest of your life.
「今日という日は残された日々の最初の一日。」 ----by Charles Dederich

この文章が最初の扉に引用されている。

 ここだけで、しばらく考えさせられました。
 う〜ん!そうか…、そうだよな。
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 早く読んでしまっては勿体ないのでじっくり読みました。余韻が心地よく、しばらく時をおいてまた読み直したいと思っています。

 終末を3年後に迎える人々の生き方を描く。

 死から光を照射することによって、生が浮き彫りにされる。できるだけよけいな解説をすることなく、思い込みや感情を抑えて描かれる。

 読み進むうちに気がつく。
 3年後の終末でなくても人間が死んでいく状況は、いつでもこの本の状況と本質的には変わらない。
 
 主人公が章ごとに変わるが、それぞれの人生の接触がさりげなくリンクされていてリアリティーを増している。

 あっ!そうそう、装丁が凄く良いです。今までの本の中では1番です。伊坂さんの行間や文体の、何ともいえない知的爽やかさや柔らかさが表紙に出ています。

著者 伊坂幸太郎
出版社名 集英社
税込価格 1,470円
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 今年の3月31日をもって、町としての歴史を閉じて伊那市に合併する。

 1889年(明治22年)4月1日西高遠町と東高遠町が合併して高遠町が発足。町として117年間の歴史である。

 伊那市との合併には経済的や、政治的な理由など、至極もっともな理由があるに違いない。

 しかし、私は本当のところそんな合理的な理由は信用していない。もっと非合理的な(反合理でも、否合理でもない)根源的なエネルギー、構造が大きなウネリをつくり色々なものを動かしていると信じる。

 鳥が飛ぶことができるのは物理的な合理的な理由からでなく、非合理的な理由から飛びたいからであり、飛べると信じているからである。

 日本全国、猫も杓子で合併の嵐である。たとえばエントロピー増大の観点から見れば、頷ける話しである。

 合併すれば、地方の方言、食べ物など個性が失われ均質化、平均化していく。皆同じになって、まさにエントロピー増大の法則に従っていくのである。

 人間を含めた生物だけ(?)が、エントロピーを減少させて、文化を創ることが出来ることに思いを馳せるとき、市町村の合併に諸手を挙げて賛成というわけにはいかないのである。

 色々な「コト」「モノ」に対して根源的な非合理的な理由を知りたいと思っている。 それが、「タッちゃんの言いたい放題」の基本的なテーマである。 
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 3月は年度の変わり目。学校では別れの季節である。

 数人の方が転退職される。すべて思いで深い人ばかりである。

 どんな仕事も良い仲間さえいれば楽しくできる。
 
 やむを得ないとはいえ、そんな仲間を送り出すのは残念でもあり淋しい。

 学校全体の送別会は珍しく雪であった。我が校の伝統として縁のあった人が花束を贈る。

 私は某先生に花束を贈らせてもらった。学年を一緒に持った若い同士、友人である。

 修学旅行の下見でこんなことがあった。×××××一丁でオートロックの部屋から出てしまったのである。フロントまで鍵をとりにいった姿を想像するだけでも正直笑えます。しかしそれも今となっては良い思い出である。

 有能で性格が真っ直ぐな好青年である。優秀で努力も惜しまない。困難を抱えた生徒に対しても愛情をもってぶつかった。こんなに爽やかな青年を他に知らない。

 優秀な若者を見守るのは気持ちのいいものである。どんどん才能を開花させて活躍して欲しい。
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by coolkai | 2006-03-23 20:12 | 学校
 朝日新聞に2年間連載されたエッセーである。

 今日で最終回とのこと。梅原猛さんによる、このエッセーを楽しみにしてきた私としては非常に残念である。

 「反時代的」はニーチェから、「密語」は空海から頂いた由。

 東洋から西洋、過去から未来まで、その射程は広く遠くである。時代の常識、権威に挑戦し、人間を超えた何者かの密やかな言葉を聞き取りたい。そんな想いから「反時代的密語」と表題を付けたとのこと。

 縄文人と現代日本人、縄文語と日本語の関係など、日本の原点、基盤になっている縄文文化の革新的な考察をもっと読みたいと願うのは私だけではあるまい。

 82才とは思えない若々しい研究成果を期待する。
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 午前11時、知人が信大病院に入院しているのでお見舞いにいく。元気そうであるが、原因不明の高熱が出るということなので不安がぬぐい去れない。

 お昼は定番の「ど根性ラーメン」を食べにいく、M下さんと一緒である。思いがけないことに3月で閉店になるという。20年以上贔屓にしてきたお店なので淋しい。食べ終わる頃S澤さんも合流する。時間の関係で簡単に情報交換をして先に出る。

 4:30頃までゼミをして理学部を後にする。朝の好天から打って変わって雨降りである。タクシーに5人乗りをして、これも定番「日本海庄屋」に向かう。

 懇親会は、導師Y先生、S澤さん、T内さん、M下さん、T口さん、M坂の6人である。

 飲みかつ話し盛り上がる。そこで《ひろさちや》さんの話しが出た。

 最近、《ひろさちや》さんの本を読んでいる。そこに、キリスト教と仏教の違いが書いてある。

 キリストは神の子である。従ってどんなに修行をしても我々はキリストになることは出来ないし目指すことも無い。ひたすら神の愛を信じて待つのである。

 しかし、仏教は違う。修行して仏陀(覚醒した者という意味)を目指すのである。仏陀は我々の目標である。

 どちらが良いというのではないが、仏教に親近感を感じるのは日本人だからかもしれない。

 午後9:07の電車にS澤さんと乗る。ギリギリまで飲んでいたので駅まで走った。電車の中でも語り合う。この仲間達といつまでも至福の時を持ちたいものである。 
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 3月、4月は挨拶をする機会が多い。

 アメリカのニュースなどを見ると、大統領自らジョークで話しを始めていることがある。

 日本では中々こうはいかない。宴会でも会議でも「高い席から失礼します」、「ご指名ですので」等々、なんでそんなに言い訳から始めるの?ということが多い。

 アメリカは元々異民族の集合体である。自分の立場を説明する前にまず気持ちを統一して共同体を作るところから始める。

 日本は、元々共同体である。統一などする必要は無い、それよりも仲間から浮いていないことを証明する必要がある。共同体の中での位置関係が重要である。皆と同じ位置でないと警戒されてしまうのである。

 かくして、私も「高い席から…」と始めるのである。
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by coolkai | 2006-03-17 22:02 | 学校