<   2006年 07月 ( 15 )   > この月の画像一覧

 高遠町のお祭りが中止になった。先日の梅雨の豪雨で何ヶ所かで被害が出たからである。

 この時期はお盆に向けて伊那市でも祭りがあり、被害の大きかった諏訪地方でも全国的に有名な花火大会がある。亡くなられた方もいるので自粛ということになるのだろうか?

 以前、某学校で生徒が交通事故で亡くなった。その終業式、校長先生がこんな話をされた。「亡くなったA子さんのためにも頑張って勉強に励んでほしい。」

 聞いている内にいくつか疑問が湧いてきた。本当にA子さんはそんなことを望んでいるのだろうか?実は夏休みはしっかり部活とデートに費やしたかったかもしれないではないか。

 校長先生はイタコの口寄せでも会得していてA子さんが憑依しているのであろうか?
 そうでないとすると、校長先生個人の正しいと思う生き方に亡くなったA子さんの死を利用したことになる。

 ひるがえって考えてみるに、被害に遭われた方々が祭りの自粛を望んだかどうかが問題の急所ではないだろうか?勝手に推測して祭りや、花火大会を取りやめるのは僭越というものではないだろうか!

 世間体があるのは分かる。しかし本当に被害者のことを考えて良いことを行っていると信じているのならそれは間違いかもしれない。考えて配慮しているのは自分のことであろう。

             暗く暑く大群衆と花火待つ   <西東三鬼>
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 昨晩、今年の3月まで高遠高校で一緒だったH氏夫妻、Nさんと一献傾けた。

 お店は「食空間ミヤザワ」で、お刺身が美味しい。

 H氏は若いが人柄も良く大変優秀な人物である。Nさんを含めて一緒に仕事をした思い出が懐かしい。現在はF高校で優秀な生徒を相手に教鞭をとっている。クラブ、授業ともに一生懸命に取り組んでいるのが分かる。

 そこで色の相対性について話題になった。「青と赤が逆に見える人がいても、それを知る術はない」という命題である。管理人はどこかで読んだ記憶があるのだがインターネットで探してもそれらしい記事が見つからない。ご存知の方がいらしたらぜひ教えていただきたい。

 気持ちのよい若者たちと気持ちのよいお酒を楽しんだ。

 家まで帰るわずかの間、いろんな想いを抱えて夏の爽やかな宵が過ぎていった。
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イタコの「口寄せ」なるものをご存知であろうか?(潮来のイタロウではありません)

 日本三大霊場の一つ「恐山」(青森県むつ市)などで死者の霊魂を呼び寄せるイタコとよばれる人が色々な質問に答えるというものである。

 以前テレビのある番組で見たことがある。なにか異様な感じと、少しのイカガワシさ(関係者の皆さんごめんなさい)を感じた記憶がある。

 青森県立保健大の調査で癒やし効果があるという結果が出たという。現代の医療・看護は患者の自立・自律を促すのであるが、イタコは進むべき道を指し示してくれる。それが癒しにつながるらしい。

 このバランスは昔から難しいと相場が決まっている。エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」にもあるようにすべてを自分で決めることは、それはそれで疲れることだ。ときには他人の指示に従って身を委ねたくもなる。しかし、そのうち自分の意志を通したくなる時期がやってきて、 かなり身勝手な自分に気がつく。

 現在では、人任せにする部分と、自分の意志を通す部分(ほんの1%くらいです)を分けているというのが私の方針になっている。

 

 
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 文化庁では施策の参考とするため、平成7年度から毎年「国語に関する世論調査」を実施している。

 敬語も難しいものの一つである。目上の人に「ご苦労様」というのは失礼で気になるという人が多かった。「お疲れさま」が望ましいという意見が多数である。

 しかし、昔からそうであったかというとそうでもない。家老が早朝に登城する主君を「御苦労千万」と気遣う場面もあったようである。(「遊ぶ日本語 不思議な日本語」岩波アクティブ新書)

 授業でも、生徒たちの言葉には戸惑うことが多い。「だから…」でいきなり始まったり、「糊はありませんか?」なども困る。あったら貸すのは当然だという訳でもあるまい。意地悪く「あります」と答えてすましていると、モジモジしている。そういうときは「糊を貸していただけますか?」というんだよと教える。

 これは、日本語の問題というより善良な生徒をいじめる性格の悪い教員といったところかもしれない。
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暴力はしたくもないし、されたくもない。

私は、基本的に小心者で、臆病である。しかし、格闘技はするのも、見るのも好きである。学生時代に空手を、教員になってからも柔道、空手の顧問をしたこともある。

ビートたけしが描く映画に暴力が繰り返し出てくる。人間にとって暴力とは何であるのか?実は人間は心の底ではそれを求めているのではないのだろうか?不気味である。暴力ではなく、自分の心がである。

 《ダニー・ザ・ドッグ》孤児として育てられ、犬のように首輪をして手なずけられ殺人マシーンとなったダニー。記憶も感情もない灰色の日常。

 ダニーには「HERO」のジェット・リー。ダニーに愛を教える盲目のピアニスト、サムを モーガン・フリーマン。彼に恋心を抱く初々しい18歳の少女、 ヴィクトリアに『アンジェラの灰』のケリー・コンドン。悪漢バートには『スターリングラード』のボブ・ホスキンス。

 配役に不満はない、過不足なくハマっている。ただ、おじさんとしては悪漢バートにはもう少し悪を追求してほしかった。悪に、暴力に入っていくその《自然さ》を演じて欲しかった。
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今日も午前中はバドミンントンのクラブ指導である。活動は3年生から1年生にバトンタッチされている(残念なことに2年生はいない)。今年の部員も素直で素敵な生徒ばかりである。指導していても気持ちがよい。

 朝、突然M先生から電話があり、「時間空いてる?」。この質問はだいたいテニスの誘いであることが多いのだが、今日は違っていた。予定されていた会議に都合の悪い先生ができたので代理を頼むとのこと。バドミントンを少し抜け出し会議に参加する。土曜日で休みの日なのだが結構忙しい。数学科のS先生も来ていてしばらく話をする。実家の近くに新しいお店が出来たらしい。早速お昼に行ってみることにした。

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ドライカレーの上にチキンが載っているものである。名前は忘れたが900円である。近くのお店だが若いヒトには良いお店であろう。中年には6点/10点くらいかな。
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 朝4時頃電話で起こされる。学校からである。大雨で天竜川が決壊するかもしれないという。色々な場所で避難勧告が出て、生徒も学校どころではないから休校にするという連絡であった。
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 幸い我が家は川からも山からも離れていて洪水も山崩れも心配がない。近くの小学校が避難所になっているくらい安全な場所である。
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 午後になり、雨がやみ、避難勧告も解除になった。しかし実家のある岡谷市では土石流に巻き込まれて何人かが亡くなっている。知人の家も近くにあるので大変心配である。

 普段は忘れているが、今日のようなとき、自然の力は人知を超え、想定外になる可能性を秘めていることに気づかされる。

 人間も自然であることを思うと、自分の予想を超える行動をとる(他人ばかりでなく自分も含めて)ことがあっても不思議ではない。
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 野球選手ではありません。我らが導師、横田一郎先生のことである。
 
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 信州大学のゼミで横田先生から「射影幾何と体」の講義を受け、その後街に繰り出し駅前の「日本海庄屋」に向かう。

 今日7/16(日)は横田先生の80歳の誕生日、傘寿である。竹内理論によると16日に生まれたからイチローなんだそうである(文章(駄洒落)の都合上、呼び捨てにしたことをお許しください)。

 若い人たちならケーキに花火であろうが、お店の店長の粋な計らいで日本酒を何種類かふるまっていただいた。その心遣いが嬉しく、気分よく盛り上がった。


 勉強をした後のお酒は格別に美味しい。これが数学をする動機の一つになっていることも事実である。
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 昨日7/13(金)は松本の教育センターに出張であった。

 就職関係の仕事が重なっていて大変忙しい時期でしたが、研修ということでありがたいお話を聞くことになった。
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 内容についての感想はともかく、センターのある場所は眺めのいい爽やかな場所である。お昼のお弁当を外の木陰で食べた。ちょっとしたピクニック気分である。

 夜は、若い友人Nさんと飲み会である。3年ほど一緒に仕事をした仲間なので気心もわかっていて、一瞬のうちに昔に戻る。真っすぐで純粋な気持ちが少し眩しい。

 こうやって、いろんな出会いをするたびに、恩師や先輩、年上、年下の友人、素敵な仲間に恵まれていることに気づく。
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by coolkai | 2006-07-15 22:19 | 学校
 少し客観性を失った記述になるかもしれないがお許しいただきたい。

 第135回直木賞が先ほど決まった。「砂漠」で候補になっていた伊坂幸太郎さんのファンとしては大変残念であった。

 文藝春秋社の本が2冊が選ばれたのは、ご愛嬌として、伊坂さんには世俗に流されることなく、素晴らしい本を書くことだけに集中していただきたい、そして我々愛読者に本を読む喜びを与え続けてほしい。
 
もっとも、伊坂さん自身は賞からは超越した世界で、柔らかな、ユーモアにあふれて機知にとんだ文体を駆使して、次の本の構想を練っているような気もするのだが…。
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