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 最近、数学の論文をweb上に載せたいがよろしいでしょうか、という問い合わせがあった。

 数学の文献の電子化が急速に進んでいるのだと思う。論文の投稿もまずweb上に発表するという方法も出来てきた。手続きが簡略化され、スピードアップが可能になる長所がある。

 逆に、利用する側からも長所はたくさんある。図書館に行かなくても、雑誌を購読していなくてもネットに接続しさえすればいつでも検索することが出来る。これは特に大学に籍を置いていないものにはありがたい話である。

 数学に限らず他の分野でも事情は似たようなものであろう。量は勿論、質的にも良好な情報がweb上にあるはずである。

 検索する技術とスピードを競う検索コンテスト?というものも行われているようであるが、これからは検索の技術があるかないかで知的な仕事に大きな差ができるような時代になるに違いない。
 
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 伊那市の奥に高遠町、そのまた奥に長谷(旧長谷村)がある。

 10/28(土)は午前中クラブで汗をかいて、午後4:30頃長谷の「仙流荘」という旅館に向かった。横に温泉施設を伴った登山宿で、私はもっぱら温泉を利用している。
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 夏とは違い、山深いこの地ではすでに薄暗くなってきている。温泉に到着するといつもの3倍くらいの車である。どうしたのかと不思議に思いながら温泉に入ってみると、やはり込んでいる。しばらくすると人が退き始めてだいぶ空いてきた。外の露天風呂に入り空を見上げると三日月が見えた。温泉の熱さと外気の冷たさが心地よく、ボーッと月に見とれていると、隣の品のいいおじさんが話しかけてきた。聞いてみると愛知県から紅葉を見に来たのだと言う。

 この混雑は紅葉狩りのお客さんによるものだと納得した。バスで4、5時間かけて北沢峠に行ってきた由、好天にも恵まれ素晴らしい景色だったそうである。

 この地に住むと少なくとも景色はいつも素晴らしく贅沢な気分を味わさせてもらっている。
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 必修になっている世界史をやらなくて、卒業できない高校3年生がたくさんいることが分かった。

 もちろん、世界史を授業でやらないことはルール違反であることは間違いない。しかし、その善悪はともかく、それよりもこのニュースが何故今出てきたかに興味がある。

 学校によってはかなり以前から行われていたとTVでは語られていた。推理小説ではないが、誰が一番得をするか考えてみるのも一つの方法かもしれない。
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 話は変わるが、今夜はT高校にALT(最近はAETとは言わない)として英語を教えているNEALさんの歓迎会があった。

 英語科主催の会であったが手品を見たいというお誘いがあったので「ALUTHGAMAGE」というスリランカ料理のお店に向かう。

 カレーが主なメニューで、さすが本場の味である。美味しい…が、辛い…が美味い。
の繰り返しで汗をかきながら皆で少しずつ色々な種類のカレーを食べた。
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 NEALさんはお母さんがスリランカの生まれということもあり、器用に右手を使いナンを食べている。

 合間に用意した手品を二つ行う。全員ビックリしたようすで、手品を楽しんでいただいた。演じる方も、楽しんでもらえると、次もより磨きをかけて頑張ろうという気になる。
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by coolkai | 2006-10-26 22:20 | 学校
 管理人が住んでいるところは伊那市の美原区とよばれる団地である。

 ここには大規模な焼却炉があり広範囲のゴミ処理を行ってきた。しかし団地を作った当初からの伊那市との約束で来年には移転することになっていた。

 ところが寝耳に水の話で、現在の場所の隣でさらに大きな焼却炉を作るという情報が飛び込んできた。

 区の一部の人の発言や動きで、そんな話が進められているようだった。もちろん多くの人たちは疑問を感じ、今夜、総会が行われた。

 国でも県でも権力を持った途端に勘違いをする人は多い。それはどんな組織でも起こりうることである。しかし総会の中で健全な意見がたくさん出てきて、ある意味安心をした。これならそんなに変な方向には行かないだろうという実感を持った。

 遅くまで議論を続けたが満足感を感じた。
 
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 光は粒子でもあり波動でもある。位置を確定しようとすると速度が決まらず、速度を決めようとすると位置が定まらないという「不確定性原理」というのもある。

 現代の量子力学では、この問題は「光」が悪いのではなく、人間の方にあるとする。いわゆる「観測」問題である。

 観測が問題だとすると、それは人間の脳の問題である。「粒子」と「波動」というふうに一つの「光」が分裂してしまうのは人間の脳が分裂しているからではないか?

 そうやって考えると気になることがある。位置には時間の単位が入っていないが波動には時間の単位が入っているのである。

 つまり「位置」は目、「波動」は耳が判断する。だとすると問題になっている矛盾は目と耳の統一の矛盾が引き起こしているのではないか。

 我々が見ているのは果たして外界なのか?


参考文献:「カミとヒトの解剖学」ちくま学芸文庫、養老孟司著
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 高遠高校は高遠藩の藩校進徳館の流れをくんで創立された学校である。

 進徳館は万延元年(1860)藩主内藤頼直が、藩士養成のために開設した学問所であり、現在も旧所名跡の一つとして残っている。

 と、歴史の説明はこれくらいにして、高遠高校の行事の中にこの進徳館の名前をいただいた「進徳ゼミ」という時間がある。午後の2時間くらいをそれに充てている。学年ごとに色々な講師の方をお呼びして講演してもらっている。

 私は3年生のゼミで炭焼き職人の原伸介さんのお話を聴かせていただいた。

 高校の進路希望調査で大真面目に「仙人」と書いた原青年は、担任に真面目に書けと怒られた。しかし信州大学の農学部を経てカッコいい師匠に私淑しついに夢を叶える。
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 一年の半分は独りで山に籠り炭を焼き、半分は講演に飛び回る。お話を聞いていて、まさにカッコ良く輝いて見えた。

 講演を聴いていた生徒たちも大感激であった。泣き出す生徒、終了後も控え室にくる生徒など、生徒たちの胸にエネルギーを注入して頂いたのがよくわかった。

 話は面白く元気の出るものであった。そうそう、と頷けることも多く30代の若い人に教えられた気がして心地よい出会いであった。  
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by coolkai | 2006-10-19 19:09 | 学校
 何のTVだったか忘れてしまったが、娘の三船美佳さんが語っていた。

 黒澤の影響が色濃いジョージ・ルーカス監督の「スター・ウォーズ」 で、渋い役どころのオビ=ワン・ケノービ役の申し出を断った話をしていた。どうもかなり有名な話のようだ。

 これに出演していたら世界中でもっと有名になっていたと思うと何だか惜しい気がする。もっともその当時はジョージ・ルーカスも無名に近かったから、才能は何処にあるか分からないということかもしれない。

 出演作品を見ると意外と見た作品が多い。

 「羅生門」「七人の侍」「蜘蛛巣城」「隠し砦の三悪人」「悪い奴ほどよく眠る」「用心棒」「椿三十郎」「天国と地獄」「赤ひげ」と見ている。

 思い出すのは演技云々よりも圧倒的な存在感である。最近はそういう人物が少なって、良いことなのか悪いことなのか分からないが面白みが無いのは確かである。

 色々な理屈を捏ねていても、最後は面白さで判断してしまうことが多い…う〜ん!マズいかな?

 
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 知り合いの方から地元の松茸を6本ほど戴いた。

 今年は、昨年と違いキノコの当たり年だと言う。それでも松茸はそう簡単に手に入らない。朝4時起きで穫りにいってきたらしい。貴重なものを戴いて感謝である。

 地元の産で香りが素晴らしい。何本かを焼いて割いて食した。ちょっぴり日本酒を飲みながら秋の味覚を楽しむ。何より買ったものでなく、わざわざ届けていただいた気持ちのつながりが嬉しく、美味しさを増している。

 何本かはサランラップに厳重にくるんで冷凍してあるが、香りの落ちないうちに食べたいと思っている。

 お薦めの料理法を知っている方がいましたら、是非ご教示下さい。
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 以前、信州大学のA研究室に伺ったとき模型を見せていただいた。

 最初は化学で用いられる分子模型かと思っていた。とりとめの無い話をしているうちに、その模型が四次元超立方体の三次元投影立体であることが分かった。

 普通の三次元立方体をに次元平面の紙に書くことが出来る。いわゆる投影図である。
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 同じことを四次元超立方体で考えると写真の立体が出来上がる。最初は四次元超立方体が想像もできなかったが、A先生の巧みな説明を受けているうちに四次元超立方体が見えた気になってくるから不思議である。

 考えてみれば目による外界の認識は生まれつきではない。実は絶え間ない訓練が必要であり、脳のコンピューターの視覚処理ソフトウェアが、その結果完成しているのである。

 そのことから推測すると訓練すれば四次元超立方体も見えたような気がすることも不思議ではないような気がする。

 人間にとって視覚が果たす役割は大きい。視覚を持たない知的生命体がいたとしたら、どんな数学を作るのか是非知りたいものである。そのとき、視覚に騙されない(依存しない)数学の本質が分かるような気がする。

 

 
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 高校で取得できる資格には色々ある。

 その中に検定といわれる一群のものがある。英語検定、漢字検定、数学検定があり、また最近知ったものに音楽検定なるものもある。

 私が試験監督をしているのは硬筆検定である。硬筆とは、毛筆ではないボールペンなどを使用して書くものである。稀代の悪筆である私からするとスッキリと気持ちよく書かれた字を見ていると大変うらやましくなる。

 いつも疑問に思うことがある、というより希望として思うことがある。素敵な字を書く人、素敵な絵を描く人、素敵な音楽を作ったり演奏したりする人は性格も素敵で知的であって欲しい。そうでなくては作品に惚れて陶酔している自分が可哀想…ではないか?

 例えば、ある絵に感激して涙を流した後に、それがヒットラーの作品(ご存知のようにヒットラーは画家志望)だと知ったら、複雑な気持ちになるだろう。

 こちらにシッカリとした鑑識眼(耳)があれば、人間性も含めた”良い”作品を発見することが出来ると信じたい。

 
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by coolkai | 2006-10-12 21:59 | 学校