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 最高裁の判決が2/28にあった。

 事実は以下のとおりである。

 《入学式で君が代のピアノ伴奏を拒否して東京都から懲戒処分を受けた小学校教諭が「思想・良心の自由を保障した憲法に反する」と処分取り消しを求めていた訴訟で、最高裁は教諭の主張を退け、上告を棄却した。》

 以下が四大新聞といわれる新聞のこの判決に対する社説の見出しになっている。
 
 毎日新聞社説:君が代判決 「お墨付き」にしてはいけない
 朝日新聞社説:国歌伴奏判決 強制の追認にならないか
 読売新聞社説:「『思想・良心』の侵害はなかった」
 日経新聞社説:妥当な最高裁「君が代」判決

 判決に対する意見を述べたいのではない。

 当たり前であるが、メディア=情報を発する側には、色々な意見、立場がある。だからこそ、読む側=情報を受け取る側も色々な情報を手に入れて冷静に考えなくちゃいかんなぁ・・・と思う。

 幸いなことに新聞を沢山購読しなくても、今はweb上でコラムや社説を読むことができる。

 全部の話題っていうわけにはいかないけれど、気になることはアチラコチラとアンテナを出したいものだ。
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 所用で東京である。晴れ上がった東京は意外と寒く、爽やかである。

 少し時間が余ったので明治神宮へ参拝にいく。近い知り合いに病に伏せる人がいるので、健康祈願をしてお守りを購入した。

 明治神宮にくるのは初めてだったので予想よりも広いことにビックリ。いくつか鳥居をくぐって(写真1、2枚目)やっと本殿(写真3)にたどり着く。コンクリートに囲まれた都会の中にあって、ここだけは土や木がタップリとある。

 参拝客は外人が結構目に付いた。「ウイスキー」なんて叫びながら楽しそうに写真を撮っている。
 
 神道の発祥はアニミズムだから、だいたい御神体は山とか木とか自然のものであることが多い。時代が要求した恣意的なものを意識せず、森と土と爽やかな空気に感動して共振すればそれで良いのだろう。「ウイスキー」の皆さんも気持ち良さそうだったから、神社体験もそれなりに正当派だったかもしれない。
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 今日は私の誕生日である。歳を重ねるのが嬉しいような年齢ではないが、それでも思うことは色々ある。

 昨日人間ドックに行ってきた。致命的なことは見つからなかったというだけで年相応に悪い所も発見される(もちろん性格のことではありません)。身長なども若いときよりも縮んだような気がする。一番身体に悪いことは歳を取ることだと誰かが言っていたが、これだけはどうしようもありません。

 これからT高校の教え子の同級会である。昨日のバリウムもお腹に残っているような気もするが二十歳になった卒業生がどんな風に成長しているか楽しみである。

 明朝は4時起きで東京に出かけることになっている。あまり飲み過ぎないようにと思っているが…。

 
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 久しぶりに時間を忘れて観た。ネタバレになるのであまり書けないのだが、こういう映画って脚本が良いんだろうなって思ってしまう。
 
 デンゼル・ワシントンやジョディ・フォスターなどアカデミー賞級の名優が出演していて、さすがの演技力である。無言で何かを訴えるその表現力にリアリティーが滲み出る。

 舞台はマンハッタンのウォール街の銀行の中と外だけで進んでいくのだが、登場人物たちの心理戦がとにかく秀逸である。

 派手な撃ち合いを期待される人には不向きであるが、人種差別に対するものや色々な社会批判、小憎らしい洒落た行動も散りばめられていてもう一回観たくなること必至の名作である。

 う〜ん、ヤラレタ!と思ってしまいました。
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 私たちが思い浮かべる過去から現在に連続的に流れている「時間」は物理的時間としては存在しないという意味である。

 物理的なジカンは存在するだろう。しかし、それは私たちが感じる「時間」とは似ても似つかないものかもしれない。

 前回話したように「爽やかな音」や「赤い色」は、感覚器官が感じ取る「現象」で物理的な「実在」ではない。

 「時間」もそれに近いが、それを感じ取る感覚器官はない。しいていえば脳の意識が「時間」を感じる感覚器官だと言えないことは無い。

 つまり、「音」や「色」に比較して「時間」は、より高度な「現象」ということである。

 人類が長い悠久の時間の中で発達、進化するのに従って、聴覚、色覚を手に入れ、最後に時間覚を獲得した…と思う。

 目的は何か?「自我=自己=self」の統一に決まっている。生まれたときの自分と50歳になった自分が同じ「自己」である為には時間が連続的に一本の線となって流れてくれなくては困るではないか。

 傍証は色々ある。生まれてからの認識をたどると音、色、形、時間の順番に認識していくのではないだろうか。

 統合失調症や鬱病の人の場合の時間認識がしばしば普通の人と異なることは良く知られている。

 「時間」がぶつ切りになったり、垂直に流れたりすると表現される。実はこの感じのほうが物理的な「ジカン」に近いのかもしれないのである。

 これが生きる根源的歓び、死への根源的恐怖が何かを理解するのにヒントを与えてくれるのかもしれない。
 
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 またまた変なことを言うな〜と、思っていらっしゃる貴方、まあ、聞いてください。

 ここで言っている「音」は人間が聞いて感じる音のことである。

存在しないという意味は人間の頭の中で鳴り響いている「音」は、客観的な物理量ではない、客観的な存在ではないという意味である。

 ご存知のようにsoundは「空気の振動」である。それを「音」として感じるのは人間の耳と言う感覚器官である。運悪く事故で耳を怪我をすれば聞こえないかもしれないし、そもそも耳という感覚器官をもたないウイルスには「音」としての存在はないだろう。あるのはsoundとしての「空気の振動」である。

 これは「赤い色」についても同様である。血の滴るような「赤」は人間の目という感覚器官がもたらすものである。ミミズには「赤」は無い。存在するのは、ある振動数の「電磁波」である。それが血の滴るように感じるには人間の感覚のなせる技である。

 ここまでの話は次回の話の前振りである。
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 今日はバレンタインデーである。こんな日は無い方が良いと思う人、あって良かった思う人、そんなことも全くどうでもいい人など色々であろう。

 もともとは19世紀のイギリスで始まったようである。この日にチョコレートやバラや色々なものを送る習慣は日本以外にもあるようである。日本だけが特別ではないようだ。

 もっとも、贈るものがチョコレートに限り、女性から男性に贈るというのは日本独自のものらしい。

 女子バドミントンの何人かは一生懸命手作りし、お目当ての男の子に渡したようである。私にも持ってきてくれたが、前日に「先生の嫌いな食べ物は何?」と聞いていたので、少し不安である。チョコレートの中に何か入っているような…?
 
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 晴天に恵まれ、今年も鉾持神社のだるま祭りが行われた。

 神社への道のあちこちに露店がでている。定番の綿アメや本命のダルマも当然あったが、最近は朱いだるまさんばかりでなく黄色いのもある。

 前回の体験があるので少々覚悟して本殿まで階段を上がる。数えたら294段あった。

 縁日というと露天商のことと勘違いしそうだけれど、よく考えてみると縁日には露店が開かれることが多いというだけであろう。

 元々は神仏との有縁の日のことで、神仏と縁(ゆかり)のある日を選んで、祭祀や供養が行われる日である。 だるま祭りはいつから始まったのであろうか?選挙のときのだるまや商売繁盛でだるまは縁起がいいようであるが、中国から盲目になってまで布教に渡ってきた達磨大師もあの世でビックリしているかもしれない。

 
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 伊坂幸太郎さんの新作である。

 久しぶりの伊坂さんの書き下ろしだったので貪るように読んでしまった。
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 「フィッシュストーリー」とは、ホラ話という意味があるそうである。なるほど日本でも「逃がした魚は大きい」という諺もあるとおり、国の東西を問わず釣果は大きくなるものである。

 泥棒の話であるが、これから読む人もいることなので筋書きは書かない。いつものことであるが読後感がとても爽やかである。

 伊坂ワールドの特徴であるフワッとした優しさ、ほろ苦さ、胸が詰まる愛情、何気ないユーモアに満ちている。

 元気がなくなったとき何度でも読み直したくなる本である。
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 ご存知二月の花札である。この二つは仲の良いもの代表であるらしい。「鶴と亀」や三個であるが「松竹梅」もその類いか。
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 以前なら2月には寒中休みなるものが4、5日程あった。学校ではそれを利用してスキー教室などを行っていた。年間で最も寒い時期であり暖房代を節約する意味もあるのかもしれない。何はともあれ信州独特の休みで、真冬という季節感が漂う時期であった。現在、県立高校では寒中休業は無い。しっかり授業を行うことになっている。改善されていると言うべきか?

 幸いなことに今年は暖冬で随分と楽であるが信州らしさが薄らいできているような気もする。諏訪湖は全面結氷することなく御神渡り(おみわたり)も出来ない。凍み豆腐も製造している人たちは困っているのではないだろうか。

 月の平均気温で1度ほどいつもより高いらしい。大したことも無いようであるが実は日本列島が何百キロも南下したのと同じらしい。そういわれると地球温暖化への危機感が生まれてくるから不思議である。

 確実に崩壊へ向かうという点では、どこかの国の核兵器より危険なものかもしれないのである。
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by coolkai | 2007-02-06 23:39