花見のシーズン到来。
この貴重な時期を逃さないように、あちらこちらと車で出かける。高遠の桜は全国的に有名になり過ぎて凄い渋滞である。いつもなら15分の所が1時間以上かかるので、今日は避ける。

 箕輪町中曽根(みのわまちなかぞね)の「権現桜(ごんげんざくら)」に行ってきた。車で20分くらいで看板を発見。桜の古木が一本、雪の残る山を背景に華やかな姿を見せている。
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 樹高15m、根本の周囲10m、平安時代からあり、樹齢千年になるらしい。不思議なことに東側と、西側の木肌の色と花の色が異なっていることから、二本の桜が癒着しているとも言われている。
 この中曽根地区から真っすぐ下る道があって、車でどんどん下っていくと「三ヶ日」という古い場所に着く。思いがけない場所に少しビックリした。ここは天竜川の船着き場のような場所になっている。大昔、天竜川を下ってきた人たちが移動してきたのかもしれないと妄想をたくましくする。

 観光客も少なく古代に思いを馳せながら薄ピンクの花びらに見入る
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# by coolkai | 2007-04-15 22:58
 先週の日曜日、母の見舞いに岡谷に行く。そこで出来上がったばかりの「小井川区誌」を拝見した。10年がかりで作られたDVD付きの立派な本である。

 ぱらぱら見ていると面白いことが書いてある。
 
 現在は東銀座という味も素っ気も無い地名であるが、小井川というのが実家の元々の地名である。《小井川=おいかわ》はどうも魚のヤマメのことだというのだ。おいかわがヤマメの別名だということを初めて知った。

 近くを流れる横河川(よこかわがわ)は昔かなりの暴れ川で扇状地を形成し、いくつかの支流に別れたらしい。その一つにはヤマメが多く見られて いたというのが現在の《おいかわ=小井川》であるという。

 良い地名だなー、と改めて思う。《東銀座》はあまりにも安易ではないか!旧い地名を残そう会を結成したくらいだ。

 
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# by coolkai | 2007-04-10 21:31
 朝日新聞の一面に連載されていた大岡信さんの「折々のうた」が最終回を迎えた。29年間、6762回続いたそうである。長期間、これだけ続けるということの大変さを思うと感嘆の言葉しか浮かばない。人並み以上の才能と努力があってのことであろう。

 最終回は江戸時代の女性俳人、田上菊舎の 「こも着ても好きな旅なり花の雨」 であった。

 乞食のような漂白の人になっても好きなことをしたい、そこにこそ風流や、楽しみが一杯である。

 最近定年間近になると周囲の人たちが何を求めて生きているのかが、何となく見えてくる。勿論自分に対しても例外ではないのだが。

 どれが良いとか優れているとかいうのではなく、どれも一局の碁、一編の小説、映画であるというだけなのだが、私の趣味は、やはり「こも着ても好きな旅なり花の雨」 に近いのだと思う。贅沢をいえば、共に《花の雨》を楽しんでくれる人(男女を問わず)がいてくれれば最高であるのだが…。
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# by coolkai | 2007-04-05 22:53
 前々から疑問に思っていたことがある。どうして、1月1日から始まる「年」と、4月1日から始まる「年度」があるのだろうか?

 色々調べていくと、日本の国が混乱、財政難に陥ったとき予算も立てられなくなってしまったのが原因だったようである。
 江戸時代、暦年とは別の「年度」はなく一月から十二月まで自然な会計だったが、明治維新後、財政難で暦年と合わせることができなくなり「年度」が作られ、明治二十一年から全国一斉になったという。
 ケッコウいい加減な理由でビックリですね。

 エイプリルフールの起源もフランスで暦を替えて新年を4月1日にしたのが原因だとか。
 どうも、4月1日にまつわる話には眉唾物が多いだが、現実の方が冗談を越えてしまっていて「ウッソー!」と叫びたくなる昨今ではある。
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# by coolkai | 2007-04-02 00:06
 通勤の途中に何本も桜がある。毎年、定点観測していて一番早く咲く桜の木の蕾がほんのりとピンクになっていた。例年、これから10日くらいで見頃になる。やはり満開の時期は、例年より1週間くらい早くなりそうである。

 「年々歳々花相似、歳々年々人不同」で始まる有名な初唐の頃の詩がある。送別会の挨拶で引用させてもらったが、まことに、我々が変わっても自然は変わらない。「白頭を悲しむ翁に代わって」という副題が付いているが、代わってもらわなくても既に白髪になりつつある私は悲しむことも無く能天気である。

 空気も春の香りがしてくる。毎年わくわく、ドキドキする私は危ない人なのかもしれない。年を経るごとに自然への感受性が強くなる。これも老人力のなせる技か?鈍感力が増すよりはマシだと思いたい。

 わくわく、ドキドキを堪能する花見が待ち遠しい。薄暮の桜のトンネルに今年も浮遊する…。
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# by coolkai | 2007-03-29 21:57
今年の選手権は涙ぐんでいる選手が多かった。男子の高橋、女子の安藤美姫、浅田真央などである。特に真央ちゃんは激泣きしていたのが印象深い。

 フィギュアーは難度の高いスポーツだということが分かる。天才的な選手が超人的な練習を重ねてきても完璧に滑ることは至難の技である。

 運動能力ばかりでなくバレーのような芸術性も要求される。その上精神的な重圧が選手を襲う。

 今度の結果は美姫選手が金メダルでよかった(まさに僅差=金差)。エキスビジョンで魅せた表情が今までみたことの無いような満ち足りた美しさであった。

 目指す目標があり、死にものぐるいの努力をして評価されることの幸せを感じる。

 最後の評価されるかどうかは別にして、目標を持ち、死にものぐるいの努力は自分でもできるかもしれない。頑張る人を見て、頑張る気持ちに共振する感激がそこに在る。
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# by coolkai | 2007-03-25 22:45
 レオナルド ダヴィンチの名画が日本にやってくる。

 ダヴィンチは15世紀にイタリアに生まれた。この左利きの天才は色々な物を発明、考案したが画家としても傑出していた。その彼が20歳の頃描いた門外不出の作品が日本に来るのである。

 当時の最新技術である遠近法が採用されているが、少し狂っているという意見と、それも計算済みであるという意見もある。
 絵だけでなく、ダヴィンチの全貌が分かるような展示も工夫されているようで見るのが楽しみである。

 東京国立博物館で2007年3月20日(火)から2007年6月17日(日)まで特別展が開催される。

 この機会を逃すと二度と見られないと思うので、何とか国立博物館に行きたいと思っている。しかし、展覧会はぐったりと疲れることが多い。主な原因は人ごみである。といっても、かく申す自分自身がその人ごみを形成しているから如何ともしがたいのであるが、平日に行くことが出来れば少しは楽になるかもしれない。
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# by coolkai | 2007-03-23 18:47
3月18日(日)は恒例の横田ゼミであった。

 ここにきて急激に冬を思い出している天候を恨めしく思いながら信州大学に向かう。途中のバスで私の人生の導師S氏に遭遇。S氏は手品の師匠でもあるので、私の未熟な手品を披露させていただいたのだが、出来の悪い子供を見るような慈愛に満ちた眼差しでアドバイスをしてくれる。

 三々五々、S氏の他にM下さんT内さん、Y師匠が集まる。ゼミで色々なことを勉強する。いつものことだが、この場では新しい世界を話してくれる人がいて、それを理解してくれる人がいる。なんて幸せなことなんだろうと思う。

 ゼミを終え、タクシーを捕まえて駅前の「日本海庄屋」に向かう。少し風邪気味だったので早めの電車で伊那に帰ろうと一人失礼して松本駅に急ぐ。ところがである、在るはずの電車が掲示板に載っていない。駅員さんに問い合わせると、なんと、ナントである、今日から時刻表が改訂になったというのである。次の電車も調べてもらうと1時間半くらい待つというではないか。エ〜ン泣きたいよう、とイジけている姿が哀れだと思ったのだろうか駅員さんが教えてくれる。特急を使えば早く帰れるようだ。でもな〜、日々のお小遣いの少ない身には特急料金が勿体ない、しかし待つのは嫌だ、勿体ない、寒い、飲みに戻ろうかと繰り返しているうちに、この特急に乗ればS導師と一緒になれることに気がつき迷うこと無く特急券を握りしめてS導師を待つ。色々な話で盛り上がるのが楽しみなのである。

 次回のYゼミはお花見となる。また満開の桜のトンネルの迷宮に紛れ込みたいと願っている。
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弥生3月である。
Wikipediaによると、弥生の由来は、草木がいよいよ生い茂る月「木草弥や生ひ月(きくさ いや おひづき)」が詰まって「やよひ」となったという説が有力で、これに対する異論は特にない。

 英語のMarchの方はローマ神話にでてくる戦いと農耕の神マルス(Mars)から取られている。

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 三月の花札のデザインは『桜と幕』、古くさいデザインではなく華やかなモダンな色使いが気持ちをパッと明るくしてくれる。幕があるところを見ると、昔から桜の花見の場所取りには苦労したのかもしれない。

 年度末は別れの季節でもある。ご多分にもれず私の職場でも転勤される方がいて、四方山話をしていると「今年の春は桜が観れないと思うと淋しい、今までは通勤の行き帰りに咲き始めから散るのまで楽しめた」と仰る。

 高遠城趾の街は自然豊かなところである。私もこの自然に何度も癒されている。開花が例年より早く予想されている今年、転勤しても是非お花見に訪れて欲しい。
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 1992年の今日、東京−新大阪間 2時間30分で結ぶ「のぞみ」が登場した。

 「のぞみ」で思い出したことがある。

 先日忙しい勤務の合間をぬって、午後年休をもらった。忙しくて中々出来なかったことをする。好みのコーヒーを買い、散髪をし、最後に歯医者に行った。

 待合室でだいぶ待たされる。そこには「週刊文春」、「AERA」などが常備されている。
そこで、「のぞみ」に関する意外な真実(大げさ!)を発見。

以下「週刊文春」07年3月15日号、葛西敬之氏(JR東海会長)と阿川佐和子さん(エッセイスト)の対談(阿川佐和子のこの人に会いたい)の冒頭部分から引用。

葛西:新幹線の「のぞみ」は阿川さんが命名されたんですよね。ご記憶ありますか?
阿川:深くありますっ!名前を決める委員に選ばれて伺ったら、すでに「希望」「きらら」「つばめ」「エース」などの候補が幾つかあって……。
葛西:二十ぐらいあったんですね。
阿川:私はノーアイディアだったから列車好きの父に相談したところ、「一つだけ言っておく。日本国鉄の列車の名前は歴代すべて大和言葉でつけられてきた。候補の中では『つばめ』しかないなあ」と。でも「ひかり」より速い新幹線が「つばめ」ってわけにもいかないって話になり……。
葛西:僕もそう思いました(笑)。ただ漢語も英語もカタカナもよくなくて、伝統を守ったほうがいいという阿川さんのお父さまのご意見はその通りだとも思っていました。
阿川:委員会では「希望」と「太陽」が有力候補になっていたんですが、私が最後に「一応父からの伝言なんですけど、日本の列車の名前は大和言葉で付けられてきたそうです。『希望』を大和言葉にすると『のぞみ』ですね」とだけ申し上げたんですよ。そうしたら「あ、そうですね。考慮に入れておきましょう」と。まさかそれが受け入れられるとは思ってなかったから、決まったときは「ウソッ、どうしよう!?」って慌てました(笑)。
葛西:僕は「のぞみ」は速度に関係ないコンセプトなのが、非常にいいと思いました。
阿川:今だから言えるようになったけど、最初の頃は友達が「今度の新幹線『のぞみ』だってさ。ダサ~い!」とかバカにしてたから、私がつけましたっていえなかった(笑)。
葛西:お陰さまで「のぞみ」がすっかり定着してよかったです。
阿川:名前って定着するもんですねえ。(後略)

そうか、「のぞみ」は大和言葉なんだ。大和言葉って、中国やアメリカなどから入ってきた外来語ではない日本独自の言葉のことですよね。

wikipediaによると次の例が載っていた。
「飢饉は世界的な問題である。」を大和言葉に翻訳すると、「多くの国で、食べ物が足りないことが悩みである。」になる。

 分かりやすい文章のヒントをいただいた気がした。
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 宮田村の弦楽合奏団「アンサンブル信州」でスプリング コンサートの第五回が開かれた。
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 全部で2曲。最初はメンデルスゾーンの「ピアノ四重奏曲へ短調作品2」である。

 ある人に教えていただいたところによると、メンデルスゾーンが13歳のとき作った曲だという。日本でいえば中学1年生である。凄い、天才としか言いようがない。

 メンデルスゾーンは裕福な家庭に生まれこの曲も自宅の大きなホールで自分の為に楽団を雇って演奏された。ところどころ超絶技巧を要求される部分があるが、ピアニストでもあったメンデルスゾーンは十分弾きこなしたというから恐ろしいものである。

 最後の曲は有名なシューベルトの「ます」である。第四楽章の印象が強く五楽章全部を聴くことはないので全楽章を聴くと、また新たな発見もあり楽しめた。

 コンサートの後は演奏者の皆さんと恒例の懇親会である。場所は宮田村の料亭「青葉」である。前回は畳に座って飲んだのだが、椅子がしつらえてあってビックリした。
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 U先生が宮田村に住居兼音楽ホールを建てるという。今年中にはできそうである。
 完成したあかつきには気楽な演奏会をやるので是非来るようにとお誘いを受けている。

 琥珀色のウイスキーを舐めながら弦楽器の琥珀色の音色を愛でようという魂胆である。

 想像するだけで贅沢で涎が出そうである。是非々実現したいと願っている。
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# by coolkai | 2007-03-11 19:16 | 音楽
 
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3月号の「ダヴィンチ」に特集がされている。

 若い人にはもちろん、本屋の店員さんにも人気があるようである。作品は一応全部読んでいるつもりであるが雑誌を読んで初めて知ったこともある。

 登場人物がいろんな作品でリンクしているという楽しみも再確認できた。
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 「アヒルと鴨のコインロッカー」も映画化され、長編書き下ろしの「ゴールデンスランバー」も出版予定で、週刊漫画の「モーニング」での連載も始まる。まさに今が旬の作家なのだと思う。

 願わくばこれからも成長し続けて私たちに素敵な世界を提供して欲しい。
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 予科練帰りと言っても今の若い人にはピンとこないかもしれない。

太平洋戦争のときの時の海軍飛行兵養成制度の一つで、Y叔父は戦争末期、甲種飛行予科練習生として志願した。

 幸いなことに特攻として飛び立つ前に戦争は終わった。目的を失った当時は随分と生活態度が荒れたようである。命を捨てるつもりだった青年には怖い物は何も無かったに違いない。

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 それから気持ちを立て直し、O電線(株)で活躍されたY叔父さんは素敵な目標でもあった。

 退職されて、以前からの趣味で撮りためた桜の写真展を岡谷で開いた。久しぶりに写真を観ながら四方山話をしようと会場に向かう。

 紅葉と一緒に咲く桜や、緑の桜など意外なことも知った。久しぶりであったが相変わらずカッコ良い伯父であった。
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高遠高校の卒業式である。

 空は晴れ上がっている。冬の張りつめた空気の中、高揚感と緊張が混ざったような気持ちで学校に向かう。

 卒業式は入学式と一味違う。入学式には積みあげたものが無いが、卒業式には3年間という時間がある。担任も生徒もこみ上げてくる気持ちが声を詰まらしもする。

 教師にとって生徒は自然そのものである。ようするに思うようにはいかない。工場で物を作るように、こうすれば、ああなる・・・わけではない。

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 丹精込めて手入れをしていく要領であろうか。苦労に苦労を重ねて卒業を迎えた担任の顔に満足と感動と一抹の淋しさを感じるのは考え過ぎではあるまい。

 この感激があるから、ワカッチャいるけど止められない・・・のである。
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# by coolkai | 2007-03-03 22:56 | 学校
 最高裁の判決が2/28にあった。

 事実は以下のとおりである。

 《入学式で君が代のピアノ伴奏を拒否して東京都から懲戒処分を受けた小学校教諭が「思想・良心の自由を保障した憲法に反する」と処分取り消しを求めていた訴訟で、最高裁は教諭の主張を退け、上告を棄却した。》

 以下が四大新聞といわれる新聞のこの判決に対する社説の見出しになっている。
 
 毎日新聞社説:君が代判決 「お墨付き」にしてはいけない
 朝日新聞社説:国歌伴奏判決 強制の追認にならないか
 読売新聞社説:「『思想・良心』の侵害はなかった」
 日経新聞社説:妥当な最高裁「君が代」判決

 判決に対する意見を述べたいのではない。

 当たり前であるが、メディア=情報を発する側には、色々な意見、立場がある。だからこそ、読む側=情報を受け取る側も色々な情報を手に入れて冷静に考えなくちゃいかんなぁ・・・と思う。

 幸いなことに新聞を沢山購読しなくても、今はweb上でコラムや社説を読むことができる。

 全部の話題っていうわけにはいかないけれど、気になることはアチラコチラとアンテナを出したいものだ。
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 所用で東京である。晴れ上がった東京は意外と寒く、爽やかである。

 少し時間が余ったので明治神宮へ参拝にいく。近い知り合いに病に伏せる人がいるので、健康祈願をしてお守りを購入した。

 明治神宮にくるのは初めてだったので予想よりも広いことにビックリ。いくつか鳥居をくぐって(写真1、2枚目)やっと本殿(写真3)にたどり着く。コンクリートに囲まれた都会の中にあって、ここだけは土や木がタップリとある。

 参拝客は外人が結構目に付いた。「ウイスキー」なんて叫びながら楽しそうに写真を撮っている。
 
 神道の発祥はアニミズムだから、だいたい御神体は山とか木とか自然のものであることが多い。時代が要求した恣意的なものを意識せず、森と土と爽やかな空気に感動して共振すればそれで良いのだろう。「ウイスキー」の皆さんも気持ち良さそうだったから、神社体験もそれなりに正当派だったかもしれない。
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 今日は私の誕生日である。歳を重ねるのが嬉しいような年齢ではないが、それでも思うことは色々ある。

 昨日人間ドックに行ってきた。致命的なことは見つからなかったというだけで年相応に悪い所も発見される(もちろん性格のことではありません)。身長なども若いときよりも縮んだような気がする。一番身体に悪いことは歳を取ることだと誰かが言っていたが、これだけはどうしようもありません。

 これからT高校の教え子の同級会である。昨日のバリウムもお腹に残っているような気もするが二十歳になった卒業生がどんな風に成長しているか楽しみである。

 明朝は4時起きで東京に出かけることになっている。あまり飲み過ぎないようにと思っているが…。

 
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 久しぶりに時間を忘れて観た。ネタバレになるのであまり書けないのだが、こういう映画って脚本が良いんだろうなって思ってしまう。
 
 デンゼル・ワシントンやジョディ・フォスターなどアカデミー賞級の名優が出演していて、さすがの演技力である。無言で何かを訴えるその表現力にリアリティーが滲み出る。

 舞台はマンハッタンのウォール街の銀行の中と外だけで進んでいくのだが、登場人物たちの心理戦がとにかく秀逸である。

 派手な撃ち合いを期待される人には不向きであるが、人種差別に対するものや色々な社会批判、小憎らしい洒落た行動も散りばめられていてもう一回観たくなること必至の名作である。

 う〜ん、ヤラレタ!と思ってしまいました。
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 私たちが思い浮かべる過去から現在に連続的に流れている「時間」は物理的時間としては存在しないという意味である。

 物理的なジカンは存在するだろう。しかし、それは私たちが感じる「時間」とは似ても似つかないものかもしれない。

 前回話したように「爽やかな音」や「赤い色」は、感覚器官が感じ取る「現象」で物理的な「実在」ではない。

 「時間」もそれに近いが、それを感じ取る感覚器官はない。しいていえば脳の意識が「時間」を感じる感覚器官だと言えないことは無い。

 つまり、「音」や「色」に比較して「時間」は、より高度な「現象」ということである。

 人類が長い悠久の時間の中で発達、進化するのに従って、聴覚、色覚を手に入れ、最後に時間覚を獲得した…と思う。

 目的は何か?「自我=自己=self」の統一に決まっている。生まれたときの自分と50歳になった自分が同じ「自己」である為には時間が連続的に一本の線となって流れてくれなくては困るではないか。

 傍証は色々ある。生まれてからの認識をたどると音、色、形、時間の順番に認識していくのではないだろうか。

 統合失調症や鬱病の人の場合の時間認識がしばしば普通の人と異なることは良く知られている。

 「時間」がぶつ切りになったり、垂直に流れたりすると表現される。実はこの感じのほうが物理的な「ジカン」に近いのかもしれないのである。

 これが生きる根源的歓び、死への根源的恐怖が何かを理解するのにヒントを与えてくれるのかもしれない。
 
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 またまた変なことを言うな〜と、思っていらっしゃる貴方、まあ、聞いてください。

 ここで言っている「音」は人間が聞いて感じる音のことである。

存在しないという意味は人間の頭の中で鳴り響いている「音」は、客観的な物理量ではない、客観的な存在ではないという意味である。

 ご存知のようにsoundは「空気の振動」である。それを「音」として感じるのは人間の耳と言う感覚器官である。運悪く事故で耳を怪我をすれば聞こえないかもしれないし、そもそも耳という感覚器官をもたないウイルスには「音」としての存在はないだろう。あるのはsoundとしての「空気の振動」である。

 これは「赤い色」についても同様である。血の滴るような「赤」は人間の目という感覚器官がもたらすものである。ミミズには「赤」は無い。存在するのは、ある振動数の「電磁波」である。それが血の滴るように感じるには人間の感覚のなせる技である。

 ここまでの話は次回の話の前振りである。
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 今日はバレンタインデーである。こんな日は無い方が良いと思う人、あって良かった思う人、そんなことも全くどうでもいい人など色々であろう。

 もともとは19世紀のイギリスで始まったようである。この日にチョコレートやバラや色々なものを送る習慣は日本以外にもあるようである。日本だけが特別ではないようだ。

 もっとも、贈るものがチョコレートに限り、女性から男性に贈るというのは日本独自のものらしい。

 女子バドミントンの何人かは一生懸命手作りし、お目当ての男の子に渡したようである。私にも持ってきてくれたが、前日に「先生の嫌いな食べ物は何?」と聞いていたので、少し不安である。チョコレートの中に何か入っているような…?
 
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 晴天に恵まれ、今年も鉾持神社のだるま祭りが行われた。

 神社への道のあちこちに露店がでている。定番の綿アメや本命のダルマも当然あったが、最近は朱いだるまさんばかりでなく黄色いのもある。

 前回の体験があるので少々覚悟して本殿まで階段を上がる。数えたら294段あった。

 縁日というと露天商のことと勘違いしそうだけれど、よく考えてみると縁日には露店が開かれることが多いというだけであろう。

 元々は神仏との有縁の日のことで、神仏と縁(ゆかり)のある日を選んで、祭祀や供養が行われる日である。 だるま祭りはいつから始まったのであろうか?選挙のときのだるまや商売繁盛でだるまは縁起がいいようであるが、中国から盲目になってまで布教に渡ってきた達磨大師もあの世でビックリしているかもしれない。

 
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 伊坂幸太郎さんの新作である。

 久しぶりの伊坂さんの書き下ろしだったので貪るように読んでしまった。
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 「フィッシュストーリー」とは、ホラ話という意味があるそうである。なるほど日本でも「逃がした魚は大きい」という諺もあるとおり、国の東西を問わず釣果は大きくなるものである。

 泥棒の話であるが、これから読む人もいることなので筋書きは書かない。いつものことであるが読後感がとても爽やかである。

 伊坂ワールドの特徴であるフワッとした優しさ、ほろ苦さ、胸が詰まる愛情、何気ないユーモアに満ちている。

 元気がなくなったとき何度でも読み直したくなる本である。
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 ご存知二月の花札である。この二つは仲の良いもの代表であるらしい。「鶴と亀」や三個であるが「松竹梅」もその類いか。
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 以前なら2月には寒中休みなるものが4、5日程あった。学校ではそれを利用してスキー教室などを行っていた。年間で最も寒い時期であり暖房代を節約する意味もあるのかもしれない。何はともあれ信州独特の休みで、真冬という季節感が漂う時期であった。現在、県立高校では寒中休業は無い。しっかり授業を行うことになっている。改善されていると言うべきか?

 幸いなことに今年は暖冬で随分と楽であるが信州らしさが薄らいできているような気もする。諏訪湖は全面結氷することなく御神渡り(おみわたり)も出来ない。凍み豆腐も製造している人たちは困っているのではないだろうか。

 月の平均気温で1度ほどいつもより高いらしい。大したことも無いようであるが実は日本列島が何百キロも南下したのと同じらしい。そういわれると地球温暖化への危機感が生まれてくるから不思議である。

 確実に崩壊へ向かうという点では、どこかの国の核兵器より危険なものかもしれないのである。
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# by coolkai | 2007-02-06 23:39
 何を隠そう、私はヒンギスのファンである。

 1997年に史上最年少の16歳で4大大会3冠を獲得したが、その後パワーテニスの波が訪れて表舞台から去り引退していたが、最近また復活してきた。無くした情熱を取り戻し、今はテニスが楽しいという。以前はそうでは無かったのだろう。

 シャラポアより断然好きである。理由は色々あるが柳沢厚生大臣のように女性蔑視だとかセクハラとかになっても困るので詳しくは言わない。

 女子テニスの東レ・パンパシフィック・オープンの準決勝がテレビで放映された。サーブの不調でシャラポワが退き、ヒンギスは決勝に進出した。

 ヒンギスの姿を見られるだけで幸せなので一ゲームでも多く頑張って欲しい。

 

 
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 最近NHKのTVでインドの発展について特集番組を組んでいる。これが中々面白い。

 アメリカなどのIT企業で働くインド人の活躍は良く知られている。一日16時間勉強する高校生とか、19かける19までの九九を憶えているとか興味深い事実が語られていた。
 日本のかけ算といえば、誰もが習うのは九九である。しかし世界的に見ると、必ずしも一ケタの九九が主流というわけではない。例えば、アメリカやイギリスは12×12まで。ドイツは20×10まで。そして、インドではところによって99×99まで習うらしい。

 九九を使った表現が色々なところで見られる。一種の洒落であろう。
 十五夜の満月を三五の月と表現したり、四六時中といって24時間=一日を意味したりする。
 
 僕の大好きな落語では、江戸時代の話で、ニ八そばというのがある。そばの値段が 16 文だったことを洒落ているのである。

 ところが最近行ったラーメン屋の名前が「二八」であった。二八は蕎麦屋の名前でラーメン屋には合わないと思ったのだが、味の方は素敵に美味であった。

 ネーミングのセンスと味のセンスは別ということか。

 
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# by coolkai | 2007-01-31 23:42
 1/27(土)、少し遅くなったが恒例のYゼミ新年会が行われた。

 M下さんやT内さんの話を聞いた後街に出る。大学の中と違い外はかなり冷え込んでいて甲府からきているS澤さんはビックリしていたようで暖かい甲府が羨ましい。
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 会場はホテルブエナビスタの近くの「治作」である。T内さんに予約していただいたお店で以前に来たことがある。

 とにかく刺身が新鮮で美味しかった記憶が蘇る。この日の料理も新鮮でグルメのY田先生も満足したようであった。少し食べかけて慌てて撮った写真であるが、このエビなどは頭をちぎった後でもピクピク動いていて、その鮮度が分かる。

 数術師S澤さんの手品を楽しみ満足した頃二次会に向かう。
 残念なことにS澤さんは先に愛妻の元へ帰られ、Y田先生も一次会で帰宅された。
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 残ったT内さん、M下さん、M坂の三人が駅前を漂うことになる。

 T内さんの特殊能力で発見したお店に入り、一人2000円で飲む交渉を粘り強くおこなう、これも楽しみの一つ。

 ほろ酔い気分で語り合う、この仲間たちとの素晴らしい時間に乾杯である。
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 藤沢周平さんの原作を山田洋次監督がメガホンをとった。

 「たそがれ清兵衛」のときもそうであったが、普通なら何も目立つこと無く一生を終えていくだろう市井の人が主人公である。

 主人公はたまたま起きた事件をきっかけに世の中の流れの先頭に押し出されていく。そこで初めて誇り高い凛とした人間性と実力を発揮させる。それもやむを得ず、図らずもという形で。

 これが堪らなく心地よく爽やかな感動を与えてくれる。

 感動の所以は、どこにあるのだろう。

 実力とは関係なくアピールをしなくては取り残され、いざとなると中々凛とした行動がとれない世の中の風潮にあるのだろう(他人事ではない・・・かも)。

 目立たなくても自己主張しなくても、凛とした志の高い人はいつの時代でもどこの場所にも存在している。色々な人と知り合う楽しみはそこにもあるというものだ。

 時代背景なども丁寧に描写されていてジックリと楽しめる映画になっている。

 
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 e0020386_2181374.jpg 1/21(日)の午後、今年もこの発表会がやってきました。

私の勤める高遠高校には芸術コースというものがある。音楽、書道、美術の専攻があって、この時期に3年生の卒業発表がある。
 本人の努力はもちろんのこと、指導される先生方の奮闘も並々ならぬものがある。たとえ、稚拙でも若者の清冽な感覚や、一生懸命さが心を打つ。

 特に音楽コースの発表のエンディンング近くになると卒業生も涙声になり、涙もろくなった私を感激が襲って、危ういことになってしまう。
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# by coolkai | 2007-01-23 21:08 | 学校
 今年も年賀状の遅配が問題になっている。この時期の配達はアルバイトを使っているというのも理由の一つかもしれない。

 年賀状の配達という仕事に限らず基本的な心のありよう、習慣、技術のようなものが危うくなっているような気がする。

 原因は何処にあるのかハッキリはしないが、「美しい国」とか、「教育改革」のようなもので解決しない事は想像に難くない。

 「教育改革」をするたび事態は悪くなっているのが実態である。

 年賀状といえば知人のところで一等が当たったそうである。羨ましい!我が家は三等が8枚であった。

  メールという手もあるが、やはり年賀状にはそれなりの味わいがある。

  《正月の四日になりて/あの人の/年に一度の葉書も来にけり》石川啄木
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