難しい話ではない。私が授業で2年生に教えている科目名である。

 ご存じないかもしれないが、この科目は英語や数学と同様に必修である。例の未履修問題のときにも「世界史」以外に「情報」を履修していない学校が問題になった。

 実は「情報」を教える事になって、現在四苦八苦しているのであるが、教科書を見て気づく事がある。
 最近の教科書なのに、もう古いと感じるのである。ディスプレイもブラウン管よりも液晶が主流になり、CDよりDVD等々である。

 それだけこの分野の進化が早く激しいのであろう。もっとも予想を裏切ってきているのが携帯電話の変化である。携帯でインターネットを使うのは当たり前になってきている。テレビ電話のような使い方も出来る。

 我が家にも某NTTという会社から光ケーブルのネット契約のお誘いが頻繁にある。そのうち最新の映画をインターネットでオンラインで見る時代になるのだろうが、慌てず様子見で行こうと思っている。 
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 視線の行き先を察知してキーボード入力の代替をさせる。

 1/15(月)の朝刊「ひと」欄の新井さんの研究である。工業高校を出て大学は夜学へ。電電公社に就職して貯金したお金で大学院を出た。

 佐賀大学の教授となり、見つめるだけで入力できるシステムを完成した。

 学問はそれだけで独立したものだと思う。仏教で言うところの、いわゆる「無記」である。学問自身に悪も善も無い。刃物が使う人により命を助けるメスになったり、人を殺す凶器になったりする。

 それだけに、新井さんの研究のように貧しいもの、障害のあるものが情報差別を受けないように考えられた発明だという話を聞くと胸の中に灯がともったような温かい気持ちになる。

 システムは無料、必要なカメラは3000円くらいと安価なことにも優しい気持ちを感じる。勝ち組となって金持ちにはなれないのかもしれないが、それには替えられない幸せを手にするに違いない。
 
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 私の実家はお菓子屋である。
私が高校生のころ店を畳んだ。グリコの看板や不二家のペコちゃんの大きい人形があった。
 
 ペコちゃんは女の子、ポコちゃんは男の子である。ペコちゃんのいわれは会津地方の牛にあるらしい。この地方では牛の事をベコといい、首を振る牛の人形のお土産も有名である。

 不二家の不祥事がニュースになっている。雪印の二の舞にならないように隠蔽したとのことであるが、二の舞を避けるのなら一秒でも早く調査、公表をすべきであった。人間性や善悪の問題というよりも事態の把握能力に疑問を感じてしまう。

 狂牛問題ではないが身近な食品でも油断はならない。おそらく現場の人々は真面目に一生懸命働いて会社のために頑張っているのだろう。
 
 局地的には真っすぐに見えても長い距離、線を延長していくと全体では大きく曲がってしまって取り返しがつかなくなっているかもしれない。そのくらいなら局地的には多少いい加減でも全体ではおおよそ真っすぐなバランス感覚を持ちたいものである。

 
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 大雪の後、寒波襲来である。

 明日の最低気温−10度などと天気予報で知る。例年このくらいにはなっているはずなのだが、毎年そのたびに寒いさむいと背中を丸めて驚くのが我ながら可笑しい。

 宇宙の始まりはとりあえず書いた。その後はニュートン力学(大抵これで間に合う)、光速に近い場合はアインシュタインの相対性理論、重力が大きい、またはミクロの世界は量子力学に登場してもらえばおおよそ理解できるところは理解できそうである(トートロジーでめちゃくちゃな表現だがお許しを)。

 しかし、電気は電子と陽子のように単独で存在できるのに、磁気に関してはN極だけの物は単独では見つかっていない・・・など、勿論分からない事は山ほどある。

原因は、物理の未発達の部分と自分自身の「おバカさんの壁」のせいであるのだが。

 そこで、気分的に「宇宙を考える」はこれで一段落として、相対論にチャレンジしてみたい(ご勝手にという声にめげず頑張りたいと思います)。
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 暖冬である。

 結局、昨年は一度も雪は降らなかった。タイヤをスタッドレスに換えて準備をしていたが役に立つこともなく、暖冬に感謝していた。

 交通機関の遅延や事故も少ない。なにより雪かきをしなくて済むのがありがたい。困るのはスキー場くらいかもしれない。

 ところがやはり寒波は訪れる。昨日から岡谷の実家で老いた両親の代りに雪かき、帰宅して伊那で雪かき、今日は朝から2回雪かきをした。

 街に買い物に行くのも億劫である。幸いな事に夜から雪は止みそうである。
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 夕方になった。センサーの付いている外灯が点滅し始めて止まらない。今までになかった現象である。コードを確認したりセンサーの雪を払ったりしたが直らない。センサーの前で手を振ると点滅が止まる。
 ハッと気がついた、この大雪で外灯がすっぽり埋まる。暗くなると点灯して、その熱で筒状に雪が溶けていき、真っ白な壁がセンサーの前に出来る。点灯するとその光が雪の壁に反射して輝きセンサーがそれを拾う。すると明るいので消灯する。消灯すれば当然暗くなる。暗くなればセンサーが反応して点灯する。この繰り返しではないか?

 センサーの周囲の雪を払いのけると点滅が止まった。どうやら予想が当たったようである。

 考えてみると冬は寒くて、雪が降るのが普通である。山に雪がなければ貯水が出来ない。
 何事も普通が良いのかもしれない。人間に、自分に都合のいい事ばかり考えていると、いつかしっぺ返しがくるのではないのだろうか。
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 お正月はいつもと違う。

 まず食べ物がお正月である。お餅、お雑煮、数の子、タヅクリ、鮭等々、普段食べない物を味わえる。

  もっとも、鮭(サケ)と鰤(ブリ)、角餅と丸餅は関東と関西で異なる。その境界は木曽川辺りという意見もあるが定かではない。

 子供たちが東京に帰ってしまうと、お正月らしいのは2、3日で終わる。

 お重箱に残った物を中心に食べる不思議な構成の食事になる。ハムとお蕎麦と蒲鉾とか・・・、とにかく冷蔵庫の整理が第一の目的になっていくようである。

 今日から公務員は仕事始めである。それが理由ではないが学校に行く。バドミントンの部員達のリクエストである。

 しばらくやっていなかったので身体が重いが、試合をすると簡単に勝てる。
 私が上手いのではなく練習してもしなくても急激な変化は無い、残念だが。

 しかし、若者達はそういう訳にいかない。上手くなるのも下手になるのも急激である。

 これは一種の老人力であるかもしれない。これからが楽しみである所以である。
 
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明けましておめでとうございます!

2007年が始まりました。今年も「たっちゃんの言いたい放題」をよろしくお願いいたします。
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年賀状の整理を午前中に終えて、高遠町の郵便局に投函する。その後、以前から気になっていた、鉾持神社に初詣である。道路から垣間見ていて予想していたのが見事に外れて大変立派な神社であった。
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 階段も長く急で本殿に到着するのに少し息切れがしてしまった。それでも神主さんに”お目出度う”と声をかけていただいて、正月らしいあらたまった気持ちになる。

 いつも感じる事だが神社仏閣では時間の進みが遅くなって最後には停まってしまう。昔の宗教の天才たちは時間のコントロールの可能性に気づいていたのかもしれない(後日このブログで詳細を書きたい)。

 
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 朝日新聞12/26の”平成落首考”に「勝ち組と負け組以外がいない国」とあった。

 物事は考えようではないか。そもそも順番が付くかどうかさえ怪しいものである。
 ”もっと楽しく”をモットーにしてきた身には、どうもピンとこない。

 ひょっとすれば十分に負け組になっているかもしないが、「目出度さもちう位なりおらが春」である。

学校では進路指導が私の仕事である。それぞれの子供がそれぞれの事情を抱え悩み、いや悩む事も出来ず卒業していく。

 ある意味で勝ち組を目指す指導は分かりやすく楽でさえある。しかしボンヤリとした私には少し違和感がつきまとってしまう。

 他にどんな応援をしてあげられかと問われても周囲の人たちを納得させられるようなものは何もないのだが・・・。
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# by coolkai | 2006-12-30 21:35 | 学校
 公務員をはじめ、殆どの仕事は今日、12月28日(木)が仕事納めであるが、私は今日から休みである。

 休みというのはいいものである。まず朝ゆっくりと寝ていられる。昼間から温泉に行ってノンビリするのも良い。好きなDVDを借りてきて映画を楽しめる。

 しかし、全てが良いかというと必ずしもそういうわけにはいかない。年末の大掃除が待っている。すす払いや、窓ふきは恒例で、障子の張り替えをした年もあった。

 午前中は、屋根に登り樋に詰まった枯れ葉をとる。そういえば、何年か前に樋から水が溢れて詰まった事があった。枯れ葉だろうと思い分解してみると鳥の巣が入っていた。何が起こるか分からないので、出来る掃除や片付けは済ましておくのにこした事はない。

 大晦日には子供たちが戻ってくる。二人とも忙しく働いているので全員が揃うのは久しぶりだ。やはり年末年始の休みはいいものである。


 
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 真空が相転移を繰り返す。

 第一の相転移で”原始の力”が”大統一力”と”重力”に分かれる。第二の相転移で”大統一力”が”強い力”と”電弱力”に分かれた。

 今回は、第三の相転移が起きるときの話である。ここでは”電弱力”が”電磁気力”と”弱い力”に分かれる。インフレーションは起きなかった。時間は10の-11秒後。温度は10の15乗Kとなっている。

 粒子に目を転じると宇宙の卵が出来てから、大きく分けて”正粒子”と”反粒子”が同数存在していた。衝突を起こすと光に変わり(対消滅)、逆に一定以上のエネルギーを持つ光子が出会うと粒子と反粒子が同時に生まれる(対生成)。常にペアで行動するのである。

 第三の相転移では粒子の性質に変化が生まれ、粒子と反粒子の振る舞いが対称でなくなるような変化が起きた(らしい?)と推測されている。

 宇宙の膨張が進行して光のエネルギーが減少する。すると対消滅は起きるが対生成は起きなくなる。結果すべての粒子が対消滅を起こし宇宙は目映い光だけの世界になった・・・訳ではない。

 粒子と反粒子の僅かな対称性の崩れが生じていて粒子が反粒子より多くなってしまい、最終的に反粒子はすべて無くなってしまった。こうして現在の宇宙には反粒子は見あたらないのである。

 始まりから10の-4秒経過して、温度が10の12乗Kに下がった頃第四の相転移が起こる。前回と同様にインフレーションは起きない。結局インフレーションはプランク秒後の第一の相転移の時に起きるだけである。

 第四の相転移は粒子の性質を変え現在の陽子、中性子、電子、光子はすべてこの時期に完成する。その後新たな相転移は起きていない。→続く
 
 
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 12/23(土)に姪の結婚式があった。横浜の山下公園の近くのホテルである。

 甥の結婚式には2度出席したが、姪のは初めてである。伊那市を7時頃出発して、会場の「ホテルコンチネンタル横浜」に着いたのは11:20頃であった。

 こういうとき、伊那は交通の便が悪いということを痛感させられる。しかし、なによりも可愛い姪の晴れ姿を見る事ができるし、最近の結婚式のスタイルというのにも興味があるので楽しみの方が遥かに勝っている。
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 仲人というのはなく新郎新婦がそれぞれを紹介するスタイルである。ホテル内の教会で式を挙げ続いて披露宴である。
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 フランス料理のフルコースを美味しく頂き、ビール、シャンペン、ワインと飲むうちに両親への感謝の言葉になる。いずれこの立場になるかと思うと(なれない?)複雑な心境である。(写真はキャンドルサービスの代りのイベントで水を注ぐと発光するものであった。)

 若い二人の幸せを念じつつ黄昏の横浜を後にした。



 
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 12月の花札の図柄も独特である。子供の頃から、図柄の意味がよく分からないでいた。
 態度のでかい人相の悪い鶏の親分がマントを着て座っているのかと思っていたのだが、もちろんそうではない。
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 中国から伝来した想像上の瑞鳥である鳳凰と中国大陸から持ち込まれた桐が組み合わされてこのユニークなデザインになっている。

 このおめでたい想像の瑞鳥の鳳凰は桐の葉に降りるという言い伝えが有り、とにかくおめでたい話のようである。

 よく「ピンからキリ」という言い方をする。
色々な説があるようだが、ある説明にによると12月には桐の花が使われていたので最初から最後までという意味でキリが使われたようである。
 ピンの方はポルトガル語のピンタ=point(点)からきているらしい。

 真相は薮の中だが、カルタ=card や花札が関係してるようである。
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大好きな映画「Back to the future」の三部作の最初、ドックがトイレで頭をぶつけてタイムマシンを発明する場面でこう叫んでいた”…相転移が起きて…”。 楽天的で明るく、変人でアイデアに満ちている(ように見える)科学者のドックに憧れている私です。

 「相転移」とは、水を例にとると、水蒸気になったり水になったり氷になるように状態が変化していくことを意味している。

 宇宙誕生の10の-44秒後のプランク期の終わりに真空のエネルギーをきっかけにインフレーションが起きる。

 そして、時間の経過と共に宇宙は最初の相転移を起こす。「力の卵」というべきものが重力と大統一力(後ほど説明予定…とりあえず、そんなものかと思ってください)の二つに分かれる。
 
 インフレーションが終わり、急膨張のおかげで温度は10の32乗Kから10の27乗Kに下がる。それが10の-34秒後である。

 こうやって宇宙は相転移を繰り返し重力や電磁気力が変化したり、温度を変えたりする。

 二回目の相転移は直ぐ続き、大統一力から強い力が分かれる。この期間は宇宙も忙しく目まぐるしく変化する。この相転移によって宇宙は超高温の火の玉になる、これが狭義のビッグバンである。→続く。
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 12/15(金)、12/16(土)と続けて忘年会である。
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 15日は学校の数学科のメンバーで中華料理を楽しんだ。アルコールも少し飲んだけれど、それほど飲める人はいないので食事重視である。

 メンバーのHさんは、この類いの情報には大変詳しく上伊那の美味しいお店は全て知っているのではないかと思うほどである。

 写真の「モン」は、そのHさんのお薦めということもあって本当に美味しく、会話も弾んだ。

 16日は横田ゼミの忘年会である。午後1時からはS大学のT先生の講演である。色々なアイデアをお聴きして大変勉強になった。忘年会にはT先生も参加していただいた。前回に「飲み放題」を予約してあったのだが時間制限もあるというので少し急がしかったが数学の話題から巷の話まで盛り上がった。S師匠の新作手品も披露されて皆大満足であった。
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 松本の駅前は夜が更けるに比例して賑やかになっていく。この雰囲気が堪らなく、次のお店へと足が向かってしまうのである。
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# by coolkai | 2006-12-17 23:19 | 学校
 プランクの大きさの宇宙の卵が出来てからは、ある程度現在の科学で説明されつつある。

 誕生して10のマイナス44乗秒後、このちっちゃな卵は凄まじい膨張(インフレーション)を起こす。それから10の-34乗秒間の間に10の10の100乗倍程度に膨張した。

 要するに、普通の人間の感覚からすれば瞬間的に爆発したということであろう。しかも、その爆発のスピードは光速を超えるほどのものであった。(相対性理論によると、物体の移動は光速を超えることは出来ないが、空間の膨張はこれに抵触しない)

 ボールが位置エネルギーを運動エネルギーに変換するように、宇宙の卵も位置エネルギーを膨張するエネルギーに換えていく。

 しかし、その切っ掛けはよく分かっていない。高いところからボールを転がして運動エネルギーに換えるように、膨張する切っ掛けが必要である。

 それは真空のエネルギーと言われている。真空にも色々ある。

 日本の家庭で使われている交流は三相交流といわれるもので、周期が120度ずれている電流が三本同時に流れていて、いつでもその合計は0である。つまり、0といってもプラスとマイナスが釣り合って0になっているのである。反対側から同じ力で押し合えば止まっているように見える物体でも何も力が働いていないわけではない。

ある種の真空では、エネルギーに満ちていても見かけは真空になっている事もあり得る。

 そして急激な膨張が始まり真空の「相転移」が始まる。「相転移」とは何か→続く
 
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 学校の帰り、あまりに山が奇麗で思わず車を止めて写真を撮った。

 伊那市からは、中央アルプスと南アルプスを見る事が出来る。麓に雪は無いが山は白銀である。空気が澄んでいるのですぐそこに山があるようである。
 
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 国破れて山河あり…ではないが、アメリカの大統領が誰になろうと、今生きている人たちがいなくなっても、この景色はそんなには変わらないであろう。終末を迎えればどうか分からないが、100年や200年では変わるまい、相変わらず日が昇り同じように山を照らしている事だろう。

 2年の生徒たちは修学旅行の沖縄から無事帰ってきた。シュノーケルをやったり泳いだりしてきたようである。そんな話を聞くと、冬景色の中にいる私はつい南国の夏景色が羨ましくなるのである。
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 久しぶりの雨である。

 信州ではこの時期、雪になってもおかしくない。2、3日前にスタッドレスにタイヤを替えたので一応安心ではあるが雪よりも雨の方がありがたい。
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 12月になって週末も何かと忙しい。近間で夕飯を食べようという事で、気になっていた「昇龍軒」に入った。

 そこは中華料理ではなくて(勝手に思い込んでいた管理人であった)台湾料理であった。台湾出身の方が本場の材料で自家製の料理を出してくれる。食していくと以前台北に旅行したときの味を思い出した。微かに個性のある味で美味しい。日本人の舌に合っているような気がする。
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 値段もビックリするほど安い。自家製ラーメンが500円、自家製餃子が150円という驚きの値段から他も推して知るべしであろう。

 少し得をした気持ちで帰途につく。写真は伊那市では珍しい「おこげ」である。
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 宇宙の始まりは「無」である。もちろん真空のことではなく、空間も時間も無いところから宇宙は生まれる。

 量子論によると非常に短い時間、小さい空間では「ゆらぎ」がおこる。ゼロを中心に+と−が揺らぐのである。これと同様な事が空間も時間もない「無」のときにも起こったというのである。

 そこでは宇宙の影が蛍の灯りのように点滅して現れては消え、消えては現れる。それが、およそ137億年前に10のマイナス35乗メートル(これをプランク長という)の大きさの宇宙の卵として形になる。この大きさは長さの最小単位である。つまり宇宙は本質的にデジタル(離散的=不連続)なのである。

 ここで一つの問題が起きる。卵になる前、点滅している宇宙の影が大きさゼロからプランクの大きさの宇宙にジャンプしなくてはならない。徐々に大きくなる事は出来ないのである。なぜならプランク長は最小単位だから、これより小さくはなれない。そこの難点を解決するのがトンネル効果というミクロの粒子に働く性質である。そうしてめでたくプランク長の大きさの宇宙の卵が完成し実時間が流れ始める。---> 続く

 
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 子供電話相談室の定番とも言うべき質問である。そうそう、宇宙の果てはどうなってるの?という質問もあった。

 インド最古の讃歌集の「リグ・ヴェーダー」には、

 …そのとき、無もなかりき、有もなかりき。空界もなかりき、…と書いてあるそうな。

 現代宇宙論でも似たような説明になる(大昔であっても、科学を使わなくても、才能のある人間は真実を識ることができるのかもしれない)。

 時間も空間も無い、もちろん物質やエネルギーも無い。そんな状況から宇宙は始まる。
真空とは違う。真空になるような空間でさえ無いのである。

 しかし、私には想像も理解できない。実感も持てない。前回の話の「否定形による理解」というところである。

 では「無」から、どうやって宇宙は始まるのか?乞う次回。
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 当たり前であるが、人間の理解できることには限界がある。もっと狭めて私の理解する事には勿論限界がある。

 それは脳というコンピューターの物理的な性能の限界を意味する。例えば白黒の感光材しかないフイルムで真っ赤なリンゴを撮影する事は出来ない。

 ではどうするか?白でも黒でも灰色でもないと風に言うしか無いのである。つまり否定形で表現しようとするであろう。

 無限に対するとき同じような感触を持つ。元々人間は有限な存在である。白黒フイルムで赤を表現するときの限界=無理を感じてしまう。無限の定義は色々試みられているが、つまるところ有限でないという事を言っているのに過ぎないかもしれない。

 人間は宇宙の部分である。白黒は総天然色の部分である。白黒が総天然色を表現する困難は、人間が宇宙を理解しようときに感じる困難と同様ではないだろうか。

 理解するのが難しいと感じられるものでも、本質的に難しい(否定形でしか表現できない=人間の外にある)ものと、努力不足が原因で難しいが本来人間の中に存在している(肯定文=構成的)ものを区別できるように努力してみたい。

 
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 早いもので、もう12月である。

 年末恒例、ベートーベンの「交響曲第九番合唱付」を聴きに伊那文化会館に行ってきた。ドイツのザールブリュッケン放送交響楽団と地元の伊那第九合唱団の共演である。
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 知人の方も合唱に参加されていたので興味深く、楽しませていただいた。大勢の方の合唱付きという事で流石に迫力がある。

 帰宅のため駐車場に向かう。横断歩道の近くで事故車が停まっていた。ぶつかって間もないのだろう、暫くして警官が向かってくるのが見える。

 歌を口ずさみながら歩いてきたのだが、少し現実に引き戻されてしまった。
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# by coolkai | 2006-12-02 21:32 | 音楽
 知り合いの方から柚子を二つ頂いた。

 原産は中国または西域といわれている。日本では飛鳥時代の文献に記載されているから、かなり古くに日本に伝播してきたのだろう。

 ミカンの仲間の柑橘類であるが、寒さに強く信州でも栽培する事が出来る。
 
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 今は姿を楽しんでいる。葉が括れて二段になっているのを知った。鮮やかな黄色と葉の緑が美しい。

 しばらく姿を愛でて、中身は湯豆腐に使う。ポン酢代りに使えばその香しい匂いを味わえる。皮はお風呂に入れて柚子湯を楽しみたい。

 素敵な贈り物をプレゼントしていただいた知人に感謝である。
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 世の中は非対称である。

 私の手は二つあるのだが右利きであり、心臓は一つしかなく(毛は生えていません)左についている。利き目、利き耳というものもある。一方、腎臓は二つあり(利き腎臓というのもあるかもしれない)、移植問題の原因にもなる。

 一つしか無い臓器は勿論、両手でも利き腕が非対称性を導く。その理由は何だろうか?利き腕、利き足を創らなくては生きていけないという意見もある。歩くのに左右の足が公平に権利を主張したら一歩も歩く事ができないというのである。

 では何故右利きがこんなに多いのであろうか、左利きと半々存在していていいのではないか。他の臓器の位置関係も影響しているかもしれない。もし、そうなら臓器全体が左右反対でも構わないではないだろうか。実際、右に心臓がある人も実在するようである。

 非対称性にも、それなりの理由があると思うのである。銀河の回転の方向が太陽系に影響を与えているだろう事は想像に難くない。反電子の回転は普通の電子と回転が逆であるのだろうか。

 どこかで左右の定義は案外難しい、いや本質的に定義は不可能である…というような話を読んだ気がするのであるが、ご教授いただければありがたい。
 
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 久しぶりに時間が取れて、ゆっくりとDVDを見る事が出来た。

 2005年度のアカデミー賞外国映画部門にノミネートされたスエーデン作品。

 簡単な粗筋を(粗筋と言えば簡単は当たり前…と一人突っ込み)!
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 世界的に成功した指揮者ダニエルは、体調を崩していつ死ぬかもしれない状態となり第一線を退く。
 心を癒すために生まれ故郷へ戻ってくるが、そこは幼少の頃虐められた記憶とも重なる。

 ある日、地元の聖歌隊の指揮を頼まれ、成功とは異質な純粋な音楽の歓びを見いだす。そして・・・。
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 素晴らしい音楽は身の回りの何処にもある。それを見つけさえすればいいんだ、と熱く語るダニエル。歌う前に心を開き一つになる重要さを説く。コンクール参加に反対する気持ちもよく分かる。また、牧師の奥さんが叫ぶキリスト教批判にもビックリした。

 一つ一つのテーマは結構重く興味深いものがあるので、もう少し丁寧に書き込んでくれると良かった。

 この映画を見ているとハマったら気持ちいいんだろうなと、合唱をしている人が羨ましい気持ちになりました。合唱好きな人には絶対お薦めです。
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 テレビで見る事の出来た最近のスポーツをあげてみよう。世界女子バレー、AFCアジアカップ2007予選、東京国際マラソン、世界男子バレー、全日本テニス、バドミントン、U21サッカー、ゴルフなど本当に盛りだくさんである。

 スポーツ好きな私としては嬉しい悲鳴である。同時にバレーとサッカーが放映されるとアッチを見たりコッチを見たりで大忙しになる。

 中でもゴルフやマラソンは個人プレーなので選手の気持ちに入り込みやすい。宮里藍さんも高橋尚子さんも優勝を逃した。とくに高橋尚子選手の3位は残念であった。体調のコントロールの難しさを感じたが、引退はしないで北京マラソンまで頑張るという声を聞いて嬉しかった。

 優勝は独りしか出来ない。どんな分野でも一位は独りしかいないのである。勝負だけを考えていくとほとんどの人は負けるのである。されば負けたときが大事だということではないだろうか。

 失敗学という本を見た事がある。全力を尽くして思いが叶わなかったときの心の持ち方、周囲との対応の仕方など少し考えることがある。

 マラソンの後の記者会見での高橋選手を観ていたら応援したくなっても罰は当たらないだろう。
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 兎束(うづか)先生のコンサートが宮田村民会館であった。
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 午後3時開演であったが、お手伝いもあって昼から出かけた。お昼は英語のY先生に勧められて、機会があったら是非行ってみたいと思っていたラーメンの「ぐうでん」である。
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 太麺のストレート、豚骨と海産物系のミックスのスープ、背油も少々。自然の材料を上手に使っているのだろう、食後の後味がスッキリしていて美味しい。
 

生憎の雨の中、コンサートに向かう。2時間あまりの充実した演奏会であった。日本の曲も交えた親しみやすい選曲で、何回も聴いた曲もあり余裕を持って味わう事が出来た。
 偶然にもピアノのH先生は娘の試験のとき伴奏をしていただいたこともあり、懇親会でお礼を述べる事が出来て幸いであった。
 伴奏も素晴らしく、久しぶりの兎束(うづか)先生のヴィオラの音色を堪能した。耳のご馳走という感じである。書いていて気がついたのだが、どうも最近食べ物の比喩が多くなる傾向があり老化のせいなのか食欲への抑制が利かなくなる予感がして自分にカツである。e0020386_23412221.jpg
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# by coolkai | 2006-11-19 23:41 | 音楽
 クラシックに興味のある人はご存知かもしれない。日本屈指のオーボエ奏者で、つい最近56歳で演奏活動停止宣言をした。

 ウマいと言われるうちに止めたいという気持ちと、体力と気力のあるうちに第二の人生に挑戦したいという気持ちから前述の宣言に至ったようである。

 最近はバイオリンよりもチェロやビオラ、フルートよりもオーボエやホルンなどの低い音の楽器に親しみを覚える。聴力には自信があるので、老化で高音域が聴き取りにくいせいだというわけでもあるまい。

 人生の後半になって聴くのにぴったりの思慮深い音に魅力を感じるのである。

宮本さんはオーボエをクラシックを楽しむ為のツールだと言う。しかしオーボエに出会った幸運に感謝しているとも述べている。この味わい深い楽器から学んだ様々な贈り物を武器に指揮者への道を歩む予感もする。

 体力と気力のあるうちにという下りの話を自分に当てはめてみる。じっくりとこれからの計画を立てるタイミングかもしれない。
 
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# by coolkai | 2006-11-17 22:07 | 音楽
 ポスティングシステムにより、アメリカのレッドソックスが交渉権を得た。

 ポスティングシステムというものがどういうものか正確には分からないのだが、60億円のお金が西武ライオンズに入るらしい。この金額がどのくらいの大金かは実感が湧かないのだが。

 松坂選手に対しては、これからレッドソックスが契約金などの交渉に当たる事になるという。

 世界野球のとき、日本の優勝に貢献した松坂のことをアメリカの人たちは良く覚えていて、世界野球の話はしたくないが松坂がくる事は大歓迎であるとTVのインタビューで答えていた。

 小さいときから大リーグで活躍する事を夢見てきた松坂選手は遂に夢を叶えた事になる。それにひきかえ、あまり話題にはなっていないが巨人の桑田選手も大リーグに挑戦している。中年の小父さんとしては、松坂選手より全盛期を過ぎた桑田選手の話の方が身につまされ、エールを送りたくなるのである。

 ボチボチと私なりの夢の実現を楽しみたいと思っている。
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 昨日は定例のYゼミであった。前回の「傘寿記念研究集会」の話や、YゼミのホームドクターであるT内さんによるユークリッド幾何の話などの後、街に向かう。小雨が降ったり晴れたりの不安定な天候であったが、意外と暖かい。

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 途中からT口さんも参加して、Yゼミの宇宙人T内さんの洒落も絶好調となる。本当にT内さんのユーモアのセンスはピカ一である。私の表現能力の限界で、その魅力を説明できないのが残念である。
 我が師匠のS澤さんによる手品も出現。考えてみると一流の手品を毎回、目の前で観る事の出来る我々は本当に贅沢である。

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 日が改まり、バドミントン部の朝練習に学校へ行く。秋の気配がそこかしこに漂い、近所でたき火をしているらしく枯れ葉が燃えるときの息の詰まるような懐かしい匂いがした。紅葉が素晴らしく奇麗である。遠くまで紅葉狩りに行く必要は無い。このT高校へ通うだけで十分である。



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クラブが終わり学校の周辺を散歩した。思わず「里の秋」を口ずさむ。先週はまだ気配もなかったのに、今はもう黄色と赤の洪水で目を奪われる。来週にはこの景色は観られない、一瞬の美しさである。定年間近な身としては全てがいとおしい。
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 我が家の初氷は昨日11/8(水)である。

 庭にある睡蓮鉢に氷が張った。春から育ててきたメダカが10匹いるので、朝、氷を発見したときは大変心配した。前日の天気予報によると当日の最低気温は0度だということだったので氷までは予想していなかった。そのため特に暖める工夫をしていなかったので少し焦ってしまった。
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 幸いな事に、泳ぐ姿を発見したときはホッとした。比較的大きな睡蓮鉢の底の方にかたまっている。
 室内に入れなければ越冬できないかもしれないのでメダカの冬支度を熟慮中である。

 学校では夜7時まで補習をした。推薦を受ける生徒の補習である。昨年度の口頭試問では数IIIの範囲から訊かれていたので、その対策である。

 生徒と一緒に校舎を出ると、もう真っ暗である。車で帰宅の途中、人家も無い暗闇を見上げると澄んだ星空に点滅が見える。飛行機のようだ。煌めきがいっそう寒さを際立てさせる。
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