良い音楽は無数にある。生きている間にどれほどの曲を楽しめるだろうか?本や料理も同じ運命であるのだが。
   そんな思いもあって、少しの時間であっても細切れの時間であっても出来るだけかき集めて音楽を聴きたいと思っている。最近はjazzやclassicが主で、popsはあまり聴かないが良質な演奏に出会ったときの感激は、他のジャンルでは味わえない喜びでもある。
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 そんな折、iPod shuffleが10/3に発売された。今なら文字を刻印してくれるサービスもあり、送料も無料である。早速購入してitunesを使って聴いてみる。

 予想外なことに、イヤホーンでの音もそれなりに良い音がしている。非常に小さく、クリップが付いている(というか全体がクリップである)ので何処にでも携帯できそうである。

 現在は弦楽四重奏などの室内楽に関心があるのだが、浅学のためか、これはというCDが探せていない。どなたかお薦めのものをお教え下されば大変ありがたい。
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 最近、寝る前に何気なくテレビを見ていると、松岡正剛さんが話していた。

 20代の頃、雑誌「遊」に出会う。斬新なデザイン、色々なジャンルを横断する内容など強烈な衝撃を受けた。そのとき編集長をしていたのが松岡正剛さんである。自分で投稿し、対談もこなしていた。この雑誌で、マックを知り、 HYPER CARDからリンクという概念も初めて知ることになる。30年以上前の事である。

 時折、書店で目にする松岡正剛さんの本を読んではきたが、本格的に再会と感じたのはネット上に公開された「千夜千冊」である。この超人的な作業には、襟を正してきちんと向き合わなければと思わせるものがあった。

 その松岡さんがTVで、「千夜千冊」以後のアイデアを話していた。それは、「図書街」である。街全体が本屋で出来ているネット上の街である。時間の制約かアナウンサーの感性のせいか、あまり話は深まらずに終わってしまっていた。もう少し聞きたかったが興味をそそられるアイデアである。

 一度「千夜千冊」をクリックすることをお薦めする。
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 今年もバドミントンの新人戦南信(南信州の意味)予選が今日から始まった。

 いつもは諏訪市の清水町体育館であるが、今回は岡谷の市民総合体育館(通称スワンドーム)である。

 朝6時起きで岡谷に向かう。会場に着くとT遠高校にいたことのある顔見知りの先生に出会った。I田高校のT屋先生、I 那北高校のY野先生は長い間バドミントンの顧問をやっている。若い先生が採用されないので私を含め顧問は皆高齢化しているのである。

 今年のバドミントン部員は1年生だけなので、勝つのは難しいと思っている。1日目は学校対抗、2日目はダブルス3日目はシングルスが行われる。学校対抗はこの地区のチャンピオンであるA穂高校が相手である。粉砕されるのではないかと危惧していたのだが意外と善戦した。指導に来ていただいているコーチの指導のおかげと生徒たちの努力の賜物であろう。

 メンバーの殆どは長谷という山奥の出身の子供である。これがまた大変性格がいい。優しく思いやりがあり素直で頑張りやである。こんなに素敵な子供たちと過ごせるのは幸せというものであろう。

 明日からまた勝負である。 
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# by coolkai | 2006-11-03 22:47 | 学校
 早いものでもう11月である。つい最近年賀状を書いたと思ったら、来年の年賀状の注文の時期になった。

 さすがに日の暮れるのも早くなり、昼間は暑いくらいであるが夜は寒い。今年は暖冬だという気象庁の長期予想もあるが、昨年も同じようなことを言っていたのに随分と寒い冬だったので、今年は騙されまいと少し用心している。

 冬に向かうこの頃は物寂しい。最近少し考えることがあって、夕暮れから夜にかけて物思いに耽ることもある。どちらかというと、人の話を聞くことが多い私だが、たまには黙って話を聞いてくれる人と美味しい酒を飲んでみたいと思うのは贅沢であろうか?

 世界史履修問題で世間は喧しいが、幸いなことに古文をやっていない高校は聞いていない。霜月で高校生は分かってくれるだろうか?

霜月とは文字通り霜の降りる月の意味であるが、信州でもまだ霜は降りない。

 英語はNovember。9番目の月の意味でローマ暦が3月起算だったので、例のごとく2ヶ月ずれている。
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 花札は、柳にカエルである。傘をさしている男性は小野道風。柳に蛙が何度も飛びつくのを見て、最後まで頑張ることを学び書の上手になったという故事に基づいている。

 最近は頑張るという若者が少ない。たまに出会うと凄く応援したくなる。どうも自分の力の範囲で何が出来るかという発想になってしまうようである。
 
 何よりも「夢」を持って欲しい!…そんな事を念ずる私はまだまだ青臭い?のかもしれない。
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 最近、数学の論文をweb上に載せたいがよろしいでしょうか、という問い合わせがあった。

 数学の文献の電子化が急速に進んでいるのだと思う。論文の投稿もまずweb上に発表するという方法も出来てきた。手続きが簡略化され、スピードアップが可能になる長所がある。

 逆に、利用する側からも長所はたくさんある。図書館に行かなくても、雑誌を購読していなくてもネットに接続しさえすればいつでも検索することが出来る。これは特に大学に籍を置いていないものにはありがたい話である。

 数学に限らず他の分野でも事情は似たようなものであろう。量は勿論、質的にも良好な情報がweb上にあるはずである。

 検索する技術とスピードを競う検索コンテスト?というものも行われているようであるが、これからは検索の技術があるかないかで知的な仕事に大きな差ができるような時代になるに違いない。
 
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 伊那市の奥に高遠町、そのまた奥に長谷(旧長谷村)がある。

 10/28(土)は午前中クラブで汗をかいて、午後4:30頃長谷の「仙流荘」という旅館に向かった。横に温泉施設を伴った登山宿で、私はもっぱら温泉を利用している。
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 夏とは違い、山深いこの地ではすでに薄暗くなってきている。温泉に到着するといつもの3倍くらいの車である。どうしたのかと不思議に思いながら温泉に入ってみると、やはり込んでいる。しばらくすると人が退き始めてだいぶ空いてきた。外の露天風呂に入り空を見上げると三日月が見えた。温泉の熱さと外気の冷たさが心地よく、ボーッと月に見とれていると、隣の品のいいおじさんが話しかけてきた。聞いてみると愛知県から紅葉を見に来たのだと言う。

 この混雑は紅葉狩りのお客さんによるものだと納得した。バスで4、5時間かけて北沢峠に行ってきた由、好天にも恵まれ素晴らしい景色だったそうである。

 この地に住むと少なくとも景色はいつも素晴らしく贅沢な気分を味わさせてもらっている。
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 必修になっている世界史をやらなくて、卒業できない高校3年生がたくさんいることが分かった。

 もちろん、世界史を授業でやらないことはルール違反であることは間違いない。しかし、その善悪はともかく、それよりもこのニュースが何故今出てきたかに興味がある。

 学校によってはかなり以前から行われていたとTVでは語られていた。推理小説ではないが、誰が一番得をするか考えてみるのも一つの方法かもしれない。
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 話は変わるが、今夜はT高校にALT(最近はAETとは言わない)として英語を教えているNEALさんの歓迎会があった。

 英語科主催の会であったが手品を見たいというお誘いがあったので「ALUTHGAMAGE」というスリランカ料理のお店に向かう。

 カレーが主なメニューで、さすが本場の味である。美味しい…が、辛い…が美味い。
の繰り返しで汗をかきながら皆で少しずつ色々な種類のカレーを食べた。
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 NEALさんはお母さんがスリランカの生まれということもあり、器用に右手を使いナンを食べている。

 合間に用意した手品を二つ行う。全員ビックリしたようすで、手品を楽しんでいただいた。演じる方も、楽しんでもらえると、次もより磨きをかけて頑張ろうという気になる。
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# by coolkai | 2006-10-26 22:20 | 学校
 管理人が住んでいるところは伊那市の美原区とよばれる団地である。

 ここには大規模な焼却炉があり広範囲のゴミ処理を行ってきた。しかし団地を作った当初からの伊那市との約束で来年には移転することになっていた。

 ところが寝耳に水の話で、現在の場所の隣でさらに大きな焼却炉を作るという情報が飛び込んできた。

 区の一部の人の発言や動きで、そんな話が進められているようだった。もちろん多くの人たちは疑問を感じ、今夜、総会が行われた。

 国でも県でも権力を持った途端に勘違いをする人は多い。それはどんな組織でも起こりうることである。しかし総会の中で健全な意見がたくさん出てきて、ある意味安心をした。これならそんなに変な方向には行かないだろうという実感を持った。

 遅くまで議論を続けたが満足感を感じた。
 
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 光は粒子でもあり波動でもある。位置を確定しようとすると速度が決まらず、速度を決めようとすると位置が定まらないという「不確定性原理」というのもある。

 現代の量子力学では、この問題は「光」が悪いのではなく、人間の方にあるとする。いわゆる「観測」問題である。

 観測が問題だとすると、それは人間の脳の問題である。「粒子」と「波動」というふうに一つの「光」が分裂してしまうのは人間の脳が分裂しているからではないか?

 そうやって考えると気になることがある。位置には時間の単位が入っていないが波動には時間の単位が入っているのである。

 つまり「位置」は目、「波動」は耳が判断する。だとすると問題になっている矛盾は目と耳の統一の矛盾が引き起こしているのではないか。

 我々が見ているのは果たして外界なのか?


参考文献:「カミとヒトの解剖学」ちくま学芸文庫、養老孟司著
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 高遠高校は高遠藩の藩校進徳館の流れをくんで創立された学校である。

 進徳館は万延元年(1860)藩主内藤頼直が、藩士養成のために開設した学問所であり、現在も旧所名跡の一つとして残っている。

 と、歴史の説明はこれくらいにして、高遠高校の行事の中にこの進徳館の名前をいただいた「進徳ゼミ」という時間がある。午後の2時間くらいをそれに充てている。学年ごとに色々な講師の方をお呼びして講演してもらっている。

 私は3年生のゼミで炭焼き職人の原伸介さんのお話を聴かせていただいた。

 高校の進路希望調査で大真面目に「仙人」と書いた原青年は、担任に真面目に書けと怒られた。しかし信州大学の農学部を経てカッコいい師匠に私淑しついに夢を叶える。
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 一年の半分は独りで山に籠り炭を焼き、半分は講演に飛び回る。お話を聞いていて、まさにカッコ良く輝いて見えた。

 講演を聴いていた生徒たちも大感激であった。泣き出す生徒、終了後も控え室にくる生徒など、生徒たちの胸にエネルギーを注入して頂いたのがよくわかった。

 話は面白く元気の出るものであった。そうそう、と頷けることも多く30代の若い人に教えられた気がして心地よい出会いであった。  
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# by coolkai | 2006-10-19 19:09 | 学校
 何のTVだったか忘れてしまったが、娘の三船美佳さんが語っていた。

 黒澤の影響が色濃いジョージ・ルーカス監督の「スター・ウォーズ」 で、渋い役どころのオビ=ワン・ケノービ役の申し出を断った話をしていた。どうもかなり有名な話のようだ。

 これに出演していたら世界中でもっと有名になっていたと思うと何だか惜しい気がする。もっともその当時はジョージ・ルーカスも無名に近かったから、才能は何処にあるか分からないということかもしれない。

 出演作品を見ると意外と見た作品が多い。

 「羅生門」「七人の侍」「蜘蛛巣城」「隠し砦の三悪人」「悪い奴ほどよく眠る」「用心棒」「椿三十郎」「天国と地獄」「赤ひげ」と見ている。

 思い出すのは演技云々よりも圧倒的な存在感である。最近はそういう人物が少なって、良いことなのか悪いことなのか分からないが面白みが無いのは確かである。

 色々な理屈を捏ねていても、最後は面白さで判断してしまうことが多い…う〜ん!マズいかな?

 
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 知り合いの方から地元の松茸を6本ほど戴いた。

 今年は、昨年と違いキノコの当たり年だと言う。それでも松茸はそう簡単に手に入らない。朝4時起きで穫りにいってきたらしい。貴重なものを戴いて感謝である。

 地元の産で香りが素晴らしい。何本かを焼いて割いて食した。ちょっぴり日本酒を飲みながら秋の味覚を楽しむ。何より買ったものでなく、わざわざ届けていただいた気持ちのつながりが嬉しく、美味しさを増している。

 何本かはサランラップに厳重にくるんで冷凍してあるが、香りの落ちないうちに食べたいと思っている。

 お薦めの料理法を知っている方がいましたら、是非ご教示下さい。
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 以前、信州大学のA研究室に伺ったとき模型を見せていただいた。

 最初は化学で用いられる分子模型かと思っていた。とりとめの無い話をしているうちに、その模型が四次元超立方体の三次元投影立体であることが分かった。

 普通の三次元立方体をに次元平面の紙に書くことが出来る。いわゆる投影図である。
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 同じことを四次元超立方体で考えると写真の立体が出来上がる。最初は四次元超立方体が想像もできなかったが、A先生の巧みな説明を受けているうちに四次元超立方体が見えた気になってくるから不思議である。

 考えてみれば目による外界の認識は生まれつきではない。実は絶え間ない訓練が必要であり、脳のコンピューターの視覚処理ソフトウェアが、その結果完成しているのである。

 そのことから推測すると訓練すれば四次元超立方体も見えたような気がすることも不思議ではないような気がする。

 人間にとって視覚が果たす役割は大きい。視覚を持たない知的生命体がいたとしたら、どんな数学を作るのか是非知りたいものである。そのとき、視覚に騙されない(依存しない)数学の本質が分かるような気がする。

 

 
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 高校で取得できる資格には色々ある。

 その中に検定といわれる一群のものがある。英語検定、漢字検定、数学検定があり、また最近知ったものに音楽検定なるものもある。

 私が試験監督をしているのは硬筆検定である。硬筆とは、毛筆ではないボールペンなどを使用して書くものである。稀代の悪筆である私からするとスッキリと気持ちよく書かれた字を見ていると大変うらやましくなる。

 いつも疑問に思うことがある、というより希望として思うことがある。素敵な字を書く人、素敵な絵を描く人、素敵な音楽を作ったり演奏したりする人は性格も素敵で知的であって欲しい。そうでなくては作品に惚れて陶酔している自分が可哀想…ではないか?

 例えば、ある絵に感激して涙を流した後に、それがヒットラーの作品(ご存知のようにヒットラーは画家志望)だと知ったら、複雑な気持ちになるだろう。

 こちらにシッカリとした鑑識眼(耳)があれば、人間性も含めた”良い”作品を発見することが出来ると信じたい。

 
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# by coolkai | 2006-10-12 21:59 | 学校
 伊那から松本に車で行くときは善知烏(うとう)峠を越えていくことが多い。

 ある人から善知烏(うとう)峠の語源を尋ねられた。

 「うとう」とは洞穴、穴の意味で古代使われていたそうである。青森縣の善知烏神社、長崎縣の鵜戸神社の本体が洞穴であることがその根拠になっている。漢字は当て字ということだろう。実際、善知烏(うとう)峠には岡谷側の方にいくつか洞穴が散見される。
 
 そういえば、私の実家では空っぽの穴のことを「うとんぽ」と言っていたことを思いだした。方言かと思っていたが由緒正しい言葉だと知ってビックリである。

 この例でも感じることだが、地名は文化財である。行政の近視眼的な思い込みで安易に替えてしまうのは勿体ないというものだ。
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10/9(月)は横田先生傘寿記念研究集会3日目である。
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 昨日、いや今朝3時過ぎまで飲んでいたので、8時30近くまで爆睡してしまった。研究集会が10時からなので、大慌てでお風呂に入る。ホテル「ウエルカム松本」のロビーのコーヒーで目を醒ましS氏、M氏と3人でタクシーに乗り信州大学に駆けつける。
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 コーヒーのせいか頭もすっきりと講演を聴き、お昼になった。タイミングも良く松本はそば祭りの最中だという、さっそく会場の松本城に向かう。想像以上の人がお堀の周りを埋めている。並んで食べるのには行列が長すぎて、とても午後の部の時間に間に合いそうも無いので近くのそば屋に入る。特大(2人前)を注文したが結構美味しくて大阪からきていたK氏も満足げであった。
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 午後はS氏の発表や、私の関心を持っている分野と近い発表があったので今まで以上に得るところが多かった。
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 三日間を振り返ってみると、色々と勉強になったが、横田先生の偉大さを再確認させられた集会でもあった。

 直接面識の無い数学者や物理学者の方々で「先生の本を読ませていただいて大変感激しました。こんな本を書く人に是非お会いしたいと思って来ました」と言って挨拶される人も少なくなかった。
 
 何となくその訳が分かるような気がする。横田先生の本を読んで、色々なことがすっきりと分かったのであろう。物事はただ分かれば良いというものではない。分かり方が問題である。「世界」をどのように認識するかは、それぞれの人にとって大問題であり、横田先生の本から「世界」を認識するための「視座」を与えられて感激したのである。

 今回の会が講演も懇親会も非常に気持ちの良いものであったのも、そういう人たちが集まったからであろう。世俗の喜びではなく精神世界の楽しみを知っている人たちが集まれば自ずと良い会になろうというものである。

 今回は阿部先生には大変お世話になりました。ありがとうございました。

 
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 10/8(日)が研究集会のメインの日である。
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 3日間の日程の二日目に横田先生の記念講演を一時間設定してある。懇親会もこの日に予定しているので、大勢の方が横田先生に会いに集まってくれた。物理の分野の皆さんの発表もかなりあって、横田先生の「例外Lie群」といわれる数学の分野が現代物理に使われていることがよくわかりました。
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 横田先生の記念講演は半生を振り返ったもので、自分の数学人生を話していただいた。
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 懇親会は大学構内の旭会館で午後6時から8時まで行われた。アトラクションとして弦楽器の演奏あり、プロの手品ありで、司会をした私としても大変楽しいものであった。

 二次会に横田先生を交えて松本の町に出る。以前ブログで紹介した、予約済みのジャズバー「ハーフタイム」に大挙して押し掛けた。
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 三次会、四次会と盛り上がり、松本駅前の雰囲気の良さそうなお店を探す。横田ゼミのメンバーはこういう技術は得意である(数学もこのくらい出来たらいいのだが)。

 それというのも、学会や、色々な研究会で全国を回って修行しているからである(何の修行?)。講演が終わると懇親会に夜の街にくりだす。そこでは安くて、安全で上品なお店を探す能力が鍛えられる。
 今回も客引きをしている黒服のお兄さんに話しかけて交渉である。こんなとき師匠S氏は頼りになる。

 紹介されたお店に行き、初めてにも関わらず手品を披露したり、リクエストに応えて弦楽器の生演奏をしたりと周囲の客も巻き込んで大騒ぎをして盛り上がった。

 結局ホテルに戻ったのは午前3時をまわっていた。
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 昨日の雨も上がり、T高校では強歩大会が1日遅れで行われている…はずである。この記念研究集会が予定されていたので、私は朝7:30に家を出て松本に向かう。
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 不肖な弟子の私も講演をした。学会では10分とか15分の講演が多いので、30分の講演は時間配分が難しい。数学の発表でも以前はOHPがほとんどだったが、今日はコンピュータを使用する人がかなりいて、文明の利器の浸透を実感する。
 PDFやDVIを直接プロジェクターでの発表したり、POWER POINTでの発表が目立った。

 我らが導師横田先生の人柄であろう、全国から大勢の人に集まっていただいた。私の力では殆どの講演が理解できなかったが、色々な講演を拝聴していると勉強する意欲が湧いてくる(これが持続すればいいのだが…)。
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 兵庫国体で高校野球の決勝が行われた。

 甲子園の決勝の再現である。しかし全国から勝ち上がって、また同じ対戦というのは素晴らしい。リーグ戦ではなくトーナメントで勝ち上がってくるというのは二つのチームとも実力があるということであろう。

 しかも斎藤投手が投げて打って、1対0の最小得点差での勝利である。作り物のドラマや映画でもこうはならない。事実は小説より奇なり、といわけである。

 かれらのみならず全力を尽くしている人たちを見ていると爽やかで気持ちがよい。自分もイッチョ頑張ってみるかという気になり随分と励まされる。

 それに引き換え日本スケート連盟などの大人の政治力による事件の気持ち悪さもニュースになっている。

 私の周辺でも、貴方の周辺でも大なり小なり気持ちのよいことも悪いこともあるに違いない。そんなときには、オズオズとではあっても、自分の気持ちを表現していくことが大事なことのように思える。
 
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 これから高校生3年生は推薦入試のシーズンである。

 かなりの大学で「小論文」なるものを課すところが多い。僕なら「大論文」を書いてやる、なんて元気な生徒はいない。

 ねじり鉢巻で練習、練習である。今日も進路室で練習をしている。聞くともなく聞こえてきたのが「数字でだまされる」というテーマである。

 数字でだまされる話は授業中によくする。例えば平均50点という話である。いかにも普通の人は50点くらいは点があるという風に聞こえるが、50点は一人もいないこともあり得る。100点と0点の人しかいないかもしれない。

 宝くじと交通事故はどうだろうか?宝くじは当たるかもしれないと思って買うのだろうが、交通事故の確率の方が高いのではないだろうか、しかし交通事故に会いそうだからといって仕事を休んだりしない。

 入試が終わると高得点であったと喜んでくる生徒がいる、得点が低かったといってしょんぼりする生徒もいる。しかし入試に関しては点数ではなく順番が重要である。高得点がそのまま合格率が高いことを意味しない。

 管理人はかなりボンヤリなので、頭のいい人に騙されていることがあるかもしれないが他人を騙そうと考えているよりも心穏やかである。
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 出雲の国に神様が集まってしまって全国からいなくなる神無し月の意味だと思っていた。
 でも、これはどちらかというと俗説らしい。神を祭る月、神の月の格助詞「の」が「無(な)」になったというのが有力。

 英語では、ご存知october。八番目の月ということである。以前にも話したように昔の暦は2ヶ月ずれている。
 octopus「たこ(八本足)」、オクターブ「八度」などがある。
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 花札は鹿に紅葉。無視するのを「シカト」というが、この花札を見て欲しい。十月(と)に鹿が後ろを向いてシカトしていることから「シカト」という言葉が始まっているそうである。

 この意匠は、てっきり有名な「奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の 声聞く時ぞ秋は悲しき」(猿丸大夫?)から来ているかと思ったら、どうも違うらしい。

 「下紅葉かつ散る山の夕時雨 濡れてやひとり鹿の鳴くらむ」(藤原家隆)が元だということである。

 余計なことだが訳を載せる。:
木の下葉が紅葉し始め、かつ散り始めた寂しい山の夕方の時雨の中で、雄鹿が濡れながら妻を呼んでいるのだろうか。

 …う〜ん、寂しすぎるょ〜!
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e0020386_732610.jpg 松本のラーメンの名店「ど根性ラーメン」が閉店してからYSTMのメンバーは寂しい思いをしてきた。

 ところがである、新しい名店を発見しました!

 横田ゼミのときは駅から直接バスに乗って信大に向かうことはほとんどない。途中パルコの本屋で本を立ち読みしてからバスに乗るのである。今日も駅からパルコに向かう途中ふと右を見るとラーメン屋があるではないか、早速店内に入る。店の内装も良く、接客も感じが良い。カウンターとテーブルがあり、カウンターに座る。
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 偶然にも、夏のメニューから秋のメニューに変わる最終日で、名物のつけ麺を食することができた。

 麺は、細麺の縮れである。タレは常温で海産物系をメインに、その他鶏ガラなどがミックスされたもののように思えた。

 美味しい。つけ麺の中ではトップレベルである。他のラーメンんも食べたくなった。

 松本に来る楽しみがまた増えました。(個人的なお詫び。S澤師匠、昨晩はラーメン屋夜12時までやっていました。)
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電話 0263−38−1114
営業時間 (月〜木)11:30〜23:00
       (金・土) 11:30〜24:00
       (日)    11:30〜23:00
年中無休  座席数 24席
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 10/02(月)〜10/07(土)の間、画廊宮坂で個展が開かれる。

 日本画である。具象画かと言われればそのような気もする。しかし徹底的に写実的かと問われれば、いやセンスの良い磨かれた装飾性を感じると答えたい。
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 この金の猫、銀の猫を見ていたら、グスタフ・クリムトGustav Klimt(1862-1918)の絵が浮かんできた。

 しかし、クリムトの絵にはどこか不安を感じさせる通奏低音があるが、川畑さんの絵には柔らかな希望が見える。

 寄り添う二匹には意味がある。手前の金の猫が私で、後ろの銀の猫が貴方とも思えるが、猫の目が問いかけてくるものは、もう少し内面の宇宙に入り込む。手前が「自己」で後ろがユングの言う「自己の影」を感じさせてならない。

 具象、抽象どちらも些細なことだよと言われているような気がして、じっと見ていたら猫たちが空間に浮かび自分も浮遊してきた。少し気持ちが楽になり不思議な旅をした気分である。

実物を見たい方は、是非「画廊宮坂」までお越し下さい。

なお、画像転載に関しては「画廊宮坂」の許可を得ています。)
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 科学とは同じ条件で行えば、どなたでも同じ結果が得られる理論を指している…らしい。

 曖昧な書き方をしたのには理由がある。確かに1+1は誰がやっても2になるであろう。だから、これは科学的な結論といっていいのだろう。

 では、進化論はどうであろうか?困ったことに同じ条件で実験をすることはできない。だって、過去には戻れないから。

 つまるところ進化論は、良く言って「物語」としか言いようがない。

 心理学はどうであろうか、これは現在の人間の心理を扱うから問題はないような気がする。しかし、同じ条件でといわれると、これが難しい。実験する人も実験される人も互いに人である。その間の「心理」がいつも同じであるわけがない。その他にも問題点が多々ある。例えば知らず知らずの内に価値観が入ってきて困るのである。暗い人より明るい人の方が優れているのだろうか?肉親が亡くなったときに悲しみに打ちひしがれて鬱状態に陥ることはマズイことなのだろうか(奥様の死後、落ち込み寝込んでしまって後を追うように亡くなってしまった知人の話などよく聞くのだが…)

 結局、心理学をもとに組み立てられるカウンセリングの目指すことは世の中でそれほど支障なく生活できるか(世の中の役に立つか?)という観点である。その観点からすれば2006年の日本では暗い人よりも明るい人、恋人が亡くなっても早く立ち直り元気になる人が望ましい。そういうことである。そういう「物語」ではあるが、およそ科学(正しい)とは思わないほうがいいのではないだろうか。

 風邪を引けば熱が出る。ほとんど熱の出ないような頑強な体が世の中では便利かもしれない。恋人が亡くなれば鬱になる。すぐ立ち直る人がしっかりした人ということかもしれない。

 でも、風邪をひいて熱て寝込んでも、恋人の死で鬱になっても仕方がないではないか?周りが困るということだけで、本人を直す必要もないことではないか(うっかり直したりすると詩も音楽も小説も映画も作られることがなくなってしまうかもしれない)。

 発熱をし、鬱になる方がマトモだということもあるのではないか、と風邪ひきの管理人は自分勝手な「物語」を作ってしまうのだ。
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 昔から色々な人が「教育」を語る。

 某国の最近立派になられた人物も「教育」について強い決意を語っていた。過去の経験からして体験者以外の「教育論」は大抵危うく、現実味が無いことが多いと心配になってくる。

 素人が手術のやり方でお医者さんに意見を述べることはない。ジェット機の機長に操縦のことで意見を述べることもない。こう考えていたら他人に指導できることなんて自分には何にもないなぁ、と気がついた。

 しかし、「教育」に限っては素人の方でも、特に偉い人々はそれぞれ一家言をお持ちのようで意見を積極的に述べる。ほとんどの人が小学校以来教育を受けてきているので自分でも教育が出来るような気がするのであろう。

 地域によっては校長、教頭から普通の教員に降格を望む教員が激増しているという。

 あっちからも、こっちからも、あれもこれも無限責任(これが日本という世間の特徴)を要求されては鬱病にもなろうというものである。

 若くて有能な人に夢を待たせるような環境ではなくなっているのだろうと思うと何だか寂しい。

 私の危惧が危惧だけで終わればいいのだが…。
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# by coolkai | 2006-09-27 20:14 | 学校
 単位をあれこれ考えてみた。
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 まず長さの単位である。1メートルは、現在は1秒の299 792 458分の1の時間(約3億分の1秒)に光が真空中を伝わる距離として定義されている。元々は北極と赤道を結ぶ子午線の長さの1000万分の1で定義されていたが、具体的なものではなくもっと普遍的な定義を考えようということで上記のようになっている。
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 しかし考えてみると真空の定義や1秒の定義も場の状態に依存するのではないかと心配になる。

 重さはもっと心配である。キログラム原器なるものがフランスに保存されていて、その複製が各国に配布され基準となっている。湿度、重力場、温度、空気の状態など重さの単位に不安を持たせる材料はいっぱいある。

 最後には光の早さに単位の基準が帰着されそうで、本当に光の早さは絶対的なものなのか心配になる。

 これほど単純なもの(しかし本質的)でさえ誰が何処で見ても同じであることに苦労している。

 最近、教育の世界でも教員の査定、評価というものが導入されようとしている。客観的な存在とはほど遠い人間を扱う仕事である。そんなわけが分からない仕事の百人いれば百人がそうだと言えるような客観的な評価とは何だろうか?
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 少し風邪気味である。

 土曜日から少し調子がおかしかったが、今日は鼻水がズルズルである。

 昔から風邪を引くとまず鼻にくる。弱い部分からひくようだが、頭からひかなくて良かったというべきか。

 横田先生のお祝いの研究集会で、不肖な弟子である私も発表することになっているのでOHPの準備をする。新しい結果を発表すべきかとも思うのだが、恩師の指導のもと得ることの出来た今までの結果をまとめて話すことにした。論文を整理していると色々思い出され、横田先生の偉大さが分かる。逆の立場であったら、私のような出来の悪い生徒を根気よく教えることは出来なかっただろう。感謝である。

 今日はメートル原器が作られた日だというので、物理的な単位の意味を考える予定であったが明日に回して早く寝ることにする。
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 映像の可能性を感じさせる番組だった。
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 詩、小説、音楽ではこのような表現は難しかったに違いない。
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 違う時代に生活する少年達がタイムスリップして現在と終戦直前で入れ替わる。尾島健太・石庭吾一(二役)の森山未來が上手い。戦時中の若者の気持ちが分かるといえば嘘になるのかもしれない。体験したものでなくては、本当のことは分からない、というのはおそらく正しい。
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 しかし私たちには想像力がある。それは鍛えられるものである。そこに歴史を学び、このような映像を見る意味があるのではないか。

 その裏返しで、自分の体験を表現する意味もあるのだと思う。
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9/23(土)が本番らしいが、今日から高遠町は灯籠祭りである。


 笹竹にほうずき提灯を吊し、夜灯をともして豊作を祝う。歴史もイワレも分からないが、それと知らずに自宅に向かう途中、丸い球体が点滅する美しい灯りに目を奪われた。


3年生は就職の結果が出始め、進学する生徒は推薦の出願が始まる。
 毎年のことであるが1、2年生ののんびりした雰囲気とは違い、3年生はどことなく緊張感が漂い少しずつ大人になっていく。
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 暗くなるまで生徒と入試問題に取り組んで、心地よい疲れとともに町の中を通ろうとしたら、この風景である。

 なぜか祭りを見ると、きまって時間が停まる。時間が横でなく縦に流れる感じがするのである。

 高遠の町にも宮沢賢治の世界はある。
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今日9/21は賢治忌である。

 宮沢賢治はファンも多く、それぞれ色々な思いをお持ちであろう。

 「風の又三郎」「銀河鉄道の夜」等々独特の雰囲気に浸ったものである。漫画では「アタゴール物語」が最も似ているだろうか。
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 養老孟司さん(ちくま学芸文庫の「カミとヒトの解剖学」)によると三島由紀夫は「目」の作家、宮沢賢治は「耳」の作家であるという。三島は生まれたときの記憶があり産湯を見たという。宮沢賢治の小説には例えば「オッベルと象」の中で、稲こき機械が回る「のんのんのんのんのんのん」などの音が溢れていて、三島の小説には音が表に出てくることは少ない。

 視覚優位な場合と聴覚優位な小説家の場合では耳の方が難解で深いという。「目」を扱う脳の部分が「耳」を扱う部分よりも脳の表面に近く、発生学的にも新しい。
 扱うのも言語化された理論的なものをあつかう。

 一方「耳」を扱う脳の部分はより深い場所にあり、意識としても未分化なもの、言語化されづらいものをあつかう。

 宮沢賢治を読んでいると、鉱物や星や花の感覚が実体化してきて稲垣足穂翁のいうA感覚に入り込んでしまう。
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