数日前に書こうとした。

 しかし、色々調べるうちに愛するものを奪われた人、現在も後遺症で苦しんでいる人などのことが、どんどん鉛のように重くなり、結局書くことができなかった。

 死刑で購えるほど彼のしたことは軽くない。

 しかし、冤罪になりそうだった松本の河野さん(テレビや雑誌での言動を知るにつけ知性的な人だと思う)が「サリン事件が何だったかを知りたい、死刑を宣告するだけが裁判ではない」というような趣旨のことを語っていた。

 私もそう思う。善悪を超えて世の中で起きること、存在するものには何かの意味がある。たとえサリン事件でも。

 されば、その意味を知りたい。そうでなければ、亡くなった方々や現在も苦しんでいる人たちも救われない。

 それは、自分の意志でなく世の中に出現した自分達の「生」を考えることと同値であろう。
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 高校生の就職試験は9/16(土)が解禁日である。

 連休明けということもあって今日9/19(火)が試験のピークである。作文、面接などしつこいほど丁寧に指導してきた身としては何だか落ち着かない。

 しっかり面接で答えているだろうか、まさか遅刻は無いだろうなとか、心配すればきりがない。

 沖縄、九州などと比較すると長野県の求人は多い、特に管理人の住んでいるこの地方は県内でも景気がよく、求人の状況には恵まれていて幸せである。

 面接の練習では、とてもここでは書けないような珍答、誤答が雨あられで吹き出しそうになるのをこらえるのに必死である。

 しかし、日頃にも増して一生懸命に取り組んでいる生徒を見ていると、こちらもつい一生懸命になってしまう。仕事だからということではなく、彼らの一生を左右するかもしれないということを考えると、やりがいもあり熱も入るというものである。

 

 
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# by coolkai | 2006-09-19 20:49 | 学校
 グリム兄弟の「ハーメルンの笛吹き男」の物語は有名である。
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 ネズミの害に困り果てたハーメルンの町の人たちは、ネズミ退治を笛吹き男に依頼する。男が笛を吹くと、それにつられてネズミが現れ後をついていき川に入り、おぼれた。しかし、金が惜しくなった町の人たちは支払いをせず知らんぷり。怒った男は再び笛を吹き、子どもたちを集めて町から消えてしまった。

 最近亡くなったドイツ中世史が専門の阿部謹也さんは「ハーメルンの笛吹き男」を著した。民俗学的手法による謎解きはたいそう面白い。
 阿部さんから網野善彦さん、小松和彦さん、栗本慎一郎さんなどを連想してしまうのは、私の悪い癖だが別の機会に連想ゲームをさせていただきたい。

 阿部さんは以前、雑誌アエラで述べた。

 小泉首相が「ハーメルンの笛吹き男」に例えられ、しかもその「笛吹き男」がもてはやされる社会的な背景として、「私たち日本人全体が理念や理想を必要と思わず、今もって“社会”ではなく“世間”の中で生きている」ことを指摘する。

 “世間”とは「金や名誉、義理、他人からの評価」などが価値になっている世界のことである。

 善悪はともかく、そしてどちらを選択するにしても、せめて何を基準に行動しようとしているかは意識したいものである。
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 明日は敬老の日である。

 岡谷の実家に両親のご機嫌伺いにいく。最近は老人の割合が増えてどの地域でも敬老会の参加者が多すぎて大変らしい。まず大勢が入る会場が無い、記念品を用意すると予算が苦しいなど対応に苦慮しているらしい。今まで70歳以上のところを75歳以上にしたところもある。
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 私の両親は敬老会は欠席したが記念品だけは受け取りにいくという。欠席すると役員の方が一軒々配って歩くことになるので、受け取りにいくのもお手伝いという訳である。

 ケーキのお店「シミズ」の美味しいモンブランを用意して姉たちと一緒に敬老の日を祝った。

 実家の庭にはワレモコウ、水引草、ブータンなんとかという珍しい花(写真)も含めて秋の花が咲いていて、季節と時間の移ろいが玲瓏な空気の中に見える。
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# by coolkai | 2006-09-17 18:57 | 家族
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ラーメンもそうだが、肉も無性に食べたくなることがある。このお店は比較的さっぱりとした味で、海産物、野菜、焼きおにぎり、クッパなどもある。ほんの少し値段が高めだが美味しい。お酒も色々ありお気に入りの日本酒「夜明け前」があるのも得点が高い。
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 最近よく利用する。自宅から学校へ行く途中にあるお店なので飲んで車を置いて帰宅しても、次の日に車をとりにいくのに都合がいい。
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 昨日は数学科の同僚S藤さんの誕生日祝いである。数学科のH岡さんU山さん、家庭科のS原さんと私の5人で集まった。
 仕事から離れて個人に帰り心の洗濯をしたくなるとき、ただ飲むという訳にいかない。そんなとき色々な記念日というのはありがたい。自然にそんな機会が持てる。

 年を重ねるごとに楽しいことは増える。若いときに見えなかったものが見えるようになる。

 左はトントロというお肉である。トロという響きに弱い私は本日のお薦めの中からさっそく選ぶ。
 食べるだけでは藝がないので、参加者で可愛い花を用意した。素敵なS藤さんには明るい花がよく似合う。さらに、宿澤氏(管理人が尊敬している手品の師匠)直伝の手品を披露する。大成功だったようで準備した管理人も嬉しかった。
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 2年生はいよいよ「微分」の分野に突入である。

 微分のことは微分(自分?)でせよ、というのは言い古されたギャグであるが、何回やっても導入が上手くいかず悩みが深い。

 極限、瞬間の速さ、微分係数の3っつをどんな順番でどんな風に教えるのかが難しい。年によっても、クラスによってもそのときの気分で変わってしまう。

 有名なアキレスと亀のパラドックスの話を持ち出して、時間や速さの概念が一筋縄ではいかないことを語ろうと思うのだが生徒はどこがパラドックスか分からないらしい。

 よっぽど管理人の話が上手い?のか、生徒が素直なのかコロリとだまされてしまう。

 0で割ることが出来ないことが重要な役目を果たすのだが、5÷0も、0÷5も質問すると0という答えが多い。

 呻吟している生徒を見ると、横田ゼミでの己を思い出して、分からなくてもまぁいいかということになってしまう軟弱な自分がいる。

 
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 横田先生の傘寿記念研究集会が10月に行われる。

 2次会の会場の調査という口実?で松本駅前の素敵なお店を探す。T先生の紹介でホテル「ブエナビスタ」正面の jazz bar 「ハーフタイム」に到着。

 店は日曜日ということで閉まっていた。残念だがと帰りかけると、偶然マスターがジャズライブの練習ということでお店に現れた。
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 訳を話して中に入りトランペットを聴かせていただき結局お酒を飲むことになる。雰囲気も良く生演奏も気に入って二次会の予約をする。

 気に入った仲間と静かに飲みたいお店である。マスターのお許しを得て紹介いたします。
TEL0263(36)4985です。
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 前回の「同じと違う」の続きである。

 「a tree」といえば、頭の中のプラトン流のイデア的な概念であり同じことがあり得る。

 「the tree」といえば現実の世の中にある具体的な木のことである。

 そういえば「a」には同じという意味があった。

 「The birds of a feather flock together.」

 概念としての同じ羽を持つ具体的な鳥たちが一緒に集まるのである。
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 「同じ」の反対は「違う」ではない、と養老孟司氏はのたまう。

 ムムっ!異なことを!しかし、氏の主張を読んでみると納得した。

 数学の授業でベクトルがでてくるとき、「同じ」とは何かよく生徒に問いかける。二つのベクトルが与えられたとき、それが「同じ」になる定義をしなくてはならないからである。

 生徒は「同じ」を定義すること自体が不思議のようである。同じは同じに決まってるジャン、というわけである。

 しかし、そう簡単にはいかない。世の中にある二つのものが「同じ」ということはありえないのである。君の本と僕の本が完全に一致するなら私は泥棒になってしまう。そうではなくて、ある特定の部分が同じに過ぎない。

 では全く同じというものは存在しないのだろうか?その通り、現実の世の中には存在しない。

 しかし、思考の中には存在する。現実に書かれた「1」という数字には厳密な意味で同じものは無い。しかし思考の中の「1」は全く同じであることが可能である。

 つまり、「同じ」と「違う」は住んでいる世界が違うのである。「赤」の反対が「甘い」と言っているようなもである。反意語は同じ世界で考えるものである。「赤」の反対は同じ色の世界で「青」と答えるのが自然だろう。

 その意味で「同じ」と「違う」は反意語になり得ないのである。

 
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 今朝の朝日新聞によると、蜃気楼の蜃は貝の大蛤のことだそうである。

 大蛤が吐き出す息によって蜃気楼が生じるという。う~ん、好きだなぁこういう説明。科学的な説明より夢がある。

 科学も一つの物語であることに間違いないのだから、胸にぐっときて納得できる説明が好ましい。先日のYゼミにおけるO氏の説明によるとアインシュタインの相対性理論も近似理論に過ぎないという。

 科学が実験科学である限り、理論が実験の精度と共に成長し以前のものが格下げ?になっていくのは、構造的な本質かもしれない。しかしガッカリはしない。とにかく成長は続けているのだから。
 
 
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 高遠高校の文化祭の名前である。由来は移転する前の学校が高遠城にあったからである。
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 高遠城は別名兜城といい、天文16年(1547)武田信玄によって築城された。

 高遠は昔からの地名が残っていて歴史の余韻を感じさせる場所が多い。何処かのように○○銀座とかならないようにというのが管理人の願いである。

 文化祭は9/2(土)、9/3(日)と一般公開された。毎年のことであるが若さが溢れて独特の雰囲気が感じられる。その脆さも危うさも通過してきた身には少し眩しくもある。e0020386_22453248.jpg
 生徒は普段と違う姿を見せる。思いもかけない才能を発揮し活躍するのを目の当たりにすると、学力が人間の能力のほんの一部に過ぎないことを思い知らされる。

 言いふらされた言葉だが今しか出来ないことを全力でやって欲しい、文字通り今しか出来ないのだから。
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# by coolkai | 2006-09-04 22:30 | 学校
 さすがの夏の暑さも弱まり、信州では朝露が目立つようになってきた。

 今年もあと四ヶ月であると誰かが言っていたが月日のたつのは早いものである。年賀状の準備でもするか…というのは冗談である。

 長月というネーミングは分かりよい。月を愛でる夜が長い、まさにそのままである。

 花札は「菊に 盃 ( さかずき ) 」。中国の陰陽道に詳しい天武天皇が9月9日に宮中で「観菊の宴(重陽の宴)」を催したのが意匠の元であるらしい。

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 陰陽道では奇数は陽、偶数は陰となっている(管理人の感覚とは逆であるが)。陽の数の中で9は最大値である。それを祝って陽の重なる9月9日が重陽の宴になる。

菊の香や奈良には古き仏たち  芭蕉【1644~1694】 

重陽の節句の日、奈良の都で詠まれた句。1ヶ月後に芭蕉は不帰の人となります。

 英語ではseptember。7番目、seventhの意味。番号が2個ずれているのは紀元前のローマ暦が3月起算 (そのため年末の2月は日数が少ない)だから。
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 スペイン版のアカデミー賞ともいわれる99年度ゴヤ賞で最優秀作品賞、最優秀主演女優賞を獲得した、『ベルエポック』のフェルナンド・トルエバ監督によるドラマ。主演は『裸のマハ』のペネロペ・クルス。美人だと思うのだが管理人には少し濃いかな~。

e0020386_20574622.jpg スペインの内戦下、ドイツから映画制作を頼まれ、苦悩した末彼女を筆頭にドイツへ渡り、映画の製作をする。しかしユダヤ人の迫害や大臣の求愛などに翻弄される。そんな中彼女は捕虜(エキストラ)の青年を好きになり、彼を匿い事件を起こす。しかしもともとの彼氏である監督のアイディアで、彼女は青年とパリへと脱出する・・・彼女のダンスはエキゾチックで華麗だった。

 第二次大戦中のドイツが舞台。ユダヤ人迫害など重苦しくなりがちであるが、結構喜劇仕立てで笑える。芸術と男と女。大人の世界が見えてくる。主人公のマカレナを演じるネロペ・クルスよりも監督役のアントニオ・レシネスが渋くてかっこいい。
 
 ややお薦め。
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 国立大学も独立法人になり、成果?を出さないと国からの補助金が減ったりする。

国立大学でさえ企業努力を求められ、生徒募集を考えなくてはいけない時代になってきた。ましてや私立大学は生き残りに必死である。色々な努力をしてアピールしてくる。

 例えば、大学の新入生に対して退職した高校の先生を雇って高校の範囲の補習をする。また、大学の先生が年間60社以上会社訪問をして就職先の開拓をしてくる等々である。

 何だか素直に良いことだと思えない管理人は時代遅れかもしれない。まず補習に関しては、いい加減自律、自立を求めたい。そのうち恋の仕方まで補習されないと出来なくなってしまいますよ、と言いたい。

 就職に関しては勿論大事であることはその通り。しかし就職予備校に矮小化されて良いものなのか?青臭い議論かもしれないが直接役に立たない勉強が大事な気がするんだがな〜!

 真面目な我々?は、つい手段が目的になりがちである。コンピューターも手段であるに過ぎないと思うのだが、しばしば逆転していることにハッとする。

 ”心地よい”ことで十分であろう。なにが”心地よい”かは大問題であるが。
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# by coolkai | 2006-09-01 20:43 | 学校
 8/26(土)は恒例の横田ゼミであった。今回は量子力学のプロで統一理論の研究をしているO先生をお招きしてお話を聞いた。
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 皆さんは統一理論という言葉をご存知であろうか?自然界に存在する四つの力を統一して説明できる理論のことである。四つの力とは次の通り。

 「重力」はつまり万有引力、「電磁力」は電気の力と磁気の力、「強い核力」は陽子や中性子といった素粒子をくっつける力、「弱い核力」は中性子がベータ崩壊して陽子になる時に働く力である。

 少し前に流行った「超紐理論(Super Strings Theory)」はアイデアも良く、解決の見通しがつくのではないかと期待を持たせたが、O氏によると事情はそんなに甘くないようである。現在は考えられる多くの理論が出尽くして行き詰まり、新たな突破口を待っている状態だそうである。

 お招きしたのには理由がある。O氏の研究に導師横田先生の結果が本質的な役割をはたしているというのである。それならば我々が量子力学を学び研究が出来ないか?というわけで勉強会を開いたのである。

 O氏は学識は勿論のこと人柄も素晴らしく懇親会も大変盛り上がった。O氏は数学が難しいとおっしゃる、横田ゼミでは物理が難しいという。なかなか上手くいかないものである。しかし交流を深めようということで意気投合し、元気をいただいた。
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 数学にはノーベル賞が無い。ノーベル賞を考えたノーベルは数学者と仲が悪かったというのがその理由だという。それが本当なら何だか大人げないような気もするが。

 今年のフィールズ賞の受賞は難問「ポアンカレ予想」を解決したペレルマン氏に決まった。数学に新たな地平を開いたその業績はだれもが疑わない。

 しかしペレルマン氏はその受賞を辞退した。同氏はフィールズ賞を断った理由を「自分の証明が正しければ賞は必要ない」と説明し、現在の数学界や、有名になって注目される境遇に嫌気がさした気持ちを吐露したようである。

 いい加減な管理人からすれば、無理してもらうこともないが、敢えて断ることも無いような気もする。しかし、真理や美を純粋に求めて栄誉という世俗からは離れていたいという気持ちはそれなりに気高いものだとも思う。

 そういえば日本に残っている曼荼羅の多くは作者不明であるという。良い作品を残すことに集中して、自分の名前を残すなどという発想は無かったに違いない。

 自分だったら信頼する人に認めてもらえれば十分満足であるような気がする。もちろん栄誉も賞金も拒みません…なんてネ。
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 メダカの産卵に夢中です。

 睡蓮鉢が二つある。一つは中程度、もう一つはかなりの大きさの睡蓮鉢である。
 それぞれ5匹、10匹とメダカがいる。たっぷりとホテイ草も入れてある。

 ひと月ほど前、おなかの周りに5、6個の卵をくっつけて泳いでいるメダカに気がついた。夕方になるとお腹がすっきりとしている。

 ホテイ草を見ると透明な卵が3、4個付いている。このままにしておくと卵も、子供も親メダカに食べられてしまうので、筆を使い水草に付着させて別なバケツに隔離する。

 一週間くらいで見逃すくらい細くて小さい子供が生まれている。現在30匹くらいが泳いでいる。すごく可愛い。

 産卵に至るまでには繊細で困難な過程が数多くあるに違いない。しかし特にトラブルもなく安定して子供が生まれてくる。

 コンピュターに少し無理させると、すぐ不安定になるのと比較するとこの安定さは凄い。何万年という単位の長い時間の篩がこの安定した子孫の増殖を保証しているに違いない。

 繊細であるが強く安定しているものにあこがれを持ってしまう。
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# by coolkai | 2006-08-20 23:15 | 学校
 DVDその16《ダニー・ザ・ドッグ》に続くジェット・リー主演の映画である。

 マーシャルアーツの原点となった実在の人物の物語である。前作よりもジェット・リーの技が美しい。格闘技を見るのが好きで大学時代に空手部だった管理人にはそれだけでも楽しめる作品である。

 ストーリー的には新味はあまりない。肉体的な力だけでは何も得られないし、勝ち負けだけで判断をしていくのには限界がある等々が語られる。

 活劇としての魅力を求めている人には、まあ見ても損は無い。60点くらいかな。

 ロニー・ユー監督、香港・アメリカでの製作、2006年。
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 信州では、今日はお盆の最終日、送り火をたく日である。この送り火とともに亡き人の魂も帰っていくのである。

 地獄と極楽について書くにはうってつけの日である。

 地獄と極楽はある種の極限である、と養老孟司さんはいう。例えば極楽は快楽無量といわれる。つまりこの世の快楽の極限値というわけである。これは具体的な説明になっていない。気持ちの良い音楽が流れ、気持ちのよい香りがして、素敵な女性がいっぱいいる(これは管理人coolkaiの追加です)。非常に抽象的でイメージが浮かばない。

 一方地獄は天国に比べてかなり具体的である。血の池地獄、針の山など。現実のこの世は地獄に近いということであろう。しかしこの世、現世の極限であることに変わりはない。

 ご存知のように極限というものは無いものを存在させる技である。つまり形式でもって実体に替えるのである。いわば現世のコンパクト化である。

 地獄や天国を言葉で何とか解説しようとすると言葉の外に出てしまうのはこんな事情からである。その説明がインチキなものでなくても、訳の分からない説明になってしまうのも無理が無いのである。
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私が28歳のとき飯田高校で担任をしたクラスである。ちょうど12歳、一回り年齢差がある。
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 ほとんどの皆さんは45才で27年ぶりの再会である。宴会場に入った瞬間はアレっていう感じで昔の顔とつながらないでいたが、そのうちモルフィングのように記憶がよみがえる。
 近況を報告し合いながら楽しく飲む。皆それぞれ頑張っている様子で元担任としては非常に嬉しい。

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 二次会は近くのカラオケ。昔の歌を歌っているうちに全員で合唱になる。同じクラスで過ごした雰囲気がもどり気持ちがまとまってくるのが分かる。学生時代の飲み会の雰囲気そのままである。

 真夜中、チューリップの「心の旅」を口ずさみながらホテルへもどる。
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 やっとお盆休みである。

 今年は同級会が幾つかある。

 独身の頃、下伊那の飯田に長く勤務していた。
 会社を辞め、横浜から移って来て最初につとめたのが飯田工業高校、その次が飯田高校だったので約13年間いたことになる。

 飯田高校で最初に持ったクラスの同級会が今日ある。すこし遠いので泊まりで行く。教え子は45歳、どんな風になっているのか会うのが楽しみである。

 久しぶりに卒業アルバムを引っ張りだして眺めていると同僚で既に鬼籍に入っている方が何人かいるのに気がついた。私より若い人もいる。色々なことが思い出されて来て感慨に耽ってしまった。

 
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 残暑お見舞い申し上げます。

 8/8(火)は立秋であった。それまでは暑中見舞いで立秋からは残暑見舞いだそうである。

台風がくるという天気予報で少しは涼しくなるかなと思っていたが、外れたらしい。もちろん被害が無くてよかったのだが、暑いことは暑い。

 学校は夏休みであるがクラブや色々でほとんど出勤である。生徒は文化祭の準備で楽しそうにがんばっている。ゆったりとした学校は授業のあるときとは違う顔を見せる。

 年をとったせいか生来の怠け心のせいか、どちらかといえば頑張っていてもケダルイ空気の漂う夏休みの学校の方が好きかな。

立秋といわれても秋の気配はない。ところがお盆の頃になると何となく心細く秋を感じるから不思議である。ちょっとした風の涼しさ、虫の音に怪しげな気配を感じてビックリしたのだろうか?

 秋立つや 何におどろく 陰陽師  (与謝蕪村)
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 野球選手の張本さんが、これまで語る事がなかった広島での被爆体験をカミングアウトした。あまりに大きな衝撃は表現さえ出来なかっただろう。

この時期になると必ず浮かんでくるイメージがある。

 浦上天主堂だろうか、ステンドグラスと大きなマリア様の像。気がつくとジリジリと照りつける陽射しの中ピカッと光って気が遠くなる。

 殺すなら、自分の手でこの首を絞めて苦しむ姿を見ながら殺して欲しい。姿も見せずボタン一つで殺して欲しくない。

 日中、何の罪もない母子が一瞬に消える。理不尽とはこの事だろう。
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 昨年は大雨でお祭りが中止になったことを思い出した。

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 例年、午後5時から交通規制になる。少し遅くなるとバスも動かなくなってしまうので、少し早めにゼミを終えて松本駅前に出てきた。

 定番の「日本海庄屋」で明るいうちから飲み始める。店の外は踊りで賑やかである。飲みながら店の外に出て踊りを眺める。祭りのある種の高揚した気分は大好きである。

 今年は我らが恩師、横田先生の傘寿にあたるので10/7,8,9の三日間研究集会をすることになっている。その周辺のことがらのあれこれを話しながら楽しいお酒をいただく。特に、10/8(日)は懇親会が行われる。稀代の手品師である数術師S氏の大掛かりな手品や、豚児のビオラ演奏などがあるので、数学はどうも敷居が高くてと思われる方でも是非ふるって参加していただければ嬉しい。

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 この日もS氏の新作手品の披露があった。ユーモアたっぷりのひょうきんな手品で、手品の色々な魅力を見せていただいた。
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昨日8/3(木)姉夫婦と両親が高遠に遊びに来た。

 午前中補習をして、午後お休みをいただいて伊那谷を案内する。お昼は以前ブログで紹介した、そばの名店「こやぶ竹聲庵」で十割そばを食す。昼間からお酒をいただいて蕎麦の味がいっそう香り高く美味であった。

 「見晴らしファーム」という高台にある信州の農作物を置いてあるお店に向かう。都会に暮らす姉夫婦は安いとビックリ、トウモロコシなど買い込む。

 お宿は地元「高遠さくらホテル」である。源泉からひいたヌルヌルけいのお風呂は私の大好きな泉質で貸し切り状態を楽しむ。露天風呂から上がり高遠湖を眺めながら義兄と話が弾む。
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 夕食は和食のコースが二人、洋食のコースが3人でお互いに美味しそうなものを適当につまみ食いしながら味わう。ロゼのスパークリングワインを含みながらの料理はとても美味しいものであった。場所柄、仕事柄美味しいものは食べ慣れているはずの姉夫婦も大絶賛であった。

 従業員の方達の心遣いも心地よく、秋にでもまたこのホテルに集まろうということになった。

 両親も楽しんでくれたようで、こちらの気持ちもホンワカとした一日であった。
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# by coolkai | 2006-08-04 21:25 | 家族
 英語でAUGUST。

 ネットを散策していたらローマの皇帝アウグスツス(Augustus)の戦勝を記念したのが語源であることを知った。
 日本では文月である。西洋ではかなりキナ臭い語源であるのに、我が国のそれは文化の香りがして、こちらの方が数段好ましい。

e0020386_21194562.gif 八月の花札は「月に 薄 ( すすき ) 。」
  山のない往時の武蔵野でススキの頭越しに月が出てくる様が目に浮かぶようである。

行く末は 空もひとつの武蔵野に 草の原より いづる月影 
<藤原良経>

 
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 高遠町のお祭りが中止になった。先日の梅雨の豪雨で何ヶ所かで被害が出たからである。

 この時期はお盆に向けて伊那市でも祭りがあり、被害の大きかった諏訪地方でも全国的に有名な花火大会がある。亡くなられた方もいるので自粛ということになるのだろうか?

 以前、某学校で生徒が交通事故で亡くなった。その終業式、校長先生がこんな話をされた。「亡くなったA子さんのためにも頑張って勉強に励んでほしい。」

 聞いている内にいくつか疑問が湧いてきた。本当にA子さんはそんなことを望んでいるのだろうか?実は夏休みはしっかり部活とデートに費やしたかったかもしれないではないか。

 校長先生はイタコの口寄せでも会得していてA子さんが憑依しているのであろうか?
 そうでないとすると、校長先生個人の正しいと思う生き方に亡くなったA子さんの死を利用したことになる。

 ひるがえって考えてみるに、被害に遭われた方々が祭りの自粛を望んだかどうかが問題の急所ではないだろうか?勝手に推測して祭りや、花火大会を取りやめるのは僭越というものではないだろうか!

 世間体があるのは分かる。しかし本当に被害者のことを考えて良いことを行っていると信じているのならそれは間違いかもしれない。考えて配慮しているのは自分のことであろう。

             暗く暑く大群衆と花火待つ   <西東三鬼>
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 昨晩、今年の3月まで高遠高校で一緒だったH氏夫妻、Nさんと一献傾けた。

 お店は「食空間ミヤザワ」で、お刺身が美味しい。

 H氏は若いが人柄も良く大変優秀な人物である。Nさんを含めて一緒に仕事をした思い出が懐かしい。現在はF高校で優秀な生徒を相手に教鞭をとっている。クラブ、授業ともに一生懸命に取り組んでいるのが分かる。

 そこで色の相対性について話題になった。「青と赤が逆に見える人がいても、それを知る術はない」という命題である。管理人はどこかで読んだ記憶があるのだがインターネットで探してもそれらしい記事が見つからない。ご存知の方がいらしたらぜひ教えていただきたい。

 気持ちのよい若者たちと気持ちのよいお酒を楽しんだ。

 家まで帰るわずかの間、いろんな想いを抱えて夏の爽やかな宵が過ぎていった。
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イタコの「口寄せ」なるものをご存知であろうか?(潮来のイタロウではありません)

 日本三大霊場の一つ「恐山」(青森県むつ市)などで死者の霊魂を呼び寄せるイタコとよばれる人が色々な質問に答えるというものである。

 以前テレビのある番組で見たことがある。なにか異様な感じと、少しのイカガワシさ(関係者の皆さんごめんなさい)を感じた記憶がある。

 青森県立保健大の調査で癒やし効果があるという結果が出たという。現代の医療・看護は患者の自立・自律を促すのであるが、イタコは進むべき道を指し示してくれる。それが癒しにつながるらしい。

 このバランスは昔から難しいと相場が決まっている。エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」にもあるようにすべてを自分で決めることは、それはそれで疲れることだ。ときには他人の指示に従って身を委ねたくもなる。しかし、そのうち自分の意志を通したくなる時期がやってきて、 かなり身勝手な自分に気がつく。

 現在では、人任せにする部分と、自分の意志を通す部分(ほんの1%くらいです)を分けているというのが私の方針になっている。

 

 
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 文化庁では施策の参考とするため、平成7年度から毎年「国語に関する世論調査」を実施している。

 敬語も難しいものの一つである。目上の人に「ご苦労様」というのは失礼で気になるという人が多かった。「お疲れさま」が望ましいという意見が多数である。

 しかし、昔からそうであったかというとそうでもない。家老が早朝に登城する主君を「御苦労千万」と気遣う場面もあったようである。(「遊ぶ日本語 不思議な日本語」岩波アクティブ新書)

 授業でも、生徒たちの言葉には戸惑うことが多い。「だから…」でいきなり始まったり、「糊はありませんか?」なども困る。あったら貸すのは当然だという訳でもあるまい。意地悪く「あります」と答えてすましていると、モジモジしている。そういうときは「糊を貸していただけますか?」というんだよと教える。

 これは、日本語の問題というより善良な生徒をいじめる性格の悪い教員といったところかもしれない。
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